晴天の霹靂だった社長就任

【酒井】ところで大西さんは、尊敬している先輩はいらっしゃいますか。

【大西】たくさんいます。若いときに自分を育ててくれた上司はもちろん、社外にも多くいます。日本の大企業の経営者の方はみなさん本当に頭もよくて、すばらしい方が多い。そもそも私は「社長になるはずがなかったのになってしまった」と今でも思っているんです。

【酒井】そうなんですか?

【大西】私は28歳から32歳までの4年間、売場を離れて新吉祥寺店準備のプロジェクトに入っていました。このときの上司が、後にワコールの副社長になった川中英男さん。

この方が私から見るとアンビリーバブルなライフスタイルをもっていらして、日中は新店準備の仕事に奔走しているのですが、夜になるとまったく異業種の人たちにどんどん会いにいくんです。私は彼のカバン持ちをやったので、ある意味破天荒な彼の生き方を間近で拝見して、自分の視野がパッと広がりました。

そのときの業績にとらわれるよりも、少しでも自分が楽しめそうな仕事に力を注ぎ、人との関係性をつくっていくことが、新たなビジネスにつながるという感覚をもったのです。以降、この考えをベースにして与えられた仕事をやっていたら、たまたまメンズ館をリモデルする機会をいただき、少しずつ経営のほうにシフトしていきました。

ですから若いころから、トップを目指そうと考えたことはありません。大袈裟ではなく、私が社長になると思っていた人は自分も含めて誰もいなかった。「予想外に社長になった」という思いからスタートしていることもあり、ご自分の意志をしっかりもち、夢やビジョンを語れる経営者の方は尊敬しています。

また、経営者に限らず、どこか破天荒な人、じゃじゃ馬的な人、自分のリスクを顧みずに戦う人は尊敬してしまいますね。