しかし採用数が増えれば増えるほど、全体のレベルが下がる可能性は高い。筆者が取材した大手航空会社の元CAは、このように述べた。
「昔は身長制限があり、容姿端麗、英語堪能でなければ、採用されなかった。それが今は前者の2つは問われないし、英語は入社してから覚えればいいという方針。どうしても質は落ちるでしょうね」
「狭き門」が開放され、望む者の多くに就労のチャンスが与えられるようになったCA。その代償として、かつての地位と魅力が失われているのではないか。
人気があるのは、発展途上国だけ?
雇用や労働環境の変遷を振り返ってみると、CAのステータスは徐々に下落してきたことがわかる。
かつて日本人にとって海外旅行は、「非日常体験」だった。1985年、プラザ合意まで1ドルは230円台で、国際線に乗る機会はごくわずか。そんな時代に海外に出かけ、英語を駆使し、なおかつ「20代で家が建つ」と言われるほど高給だったCAは、学生にも利用客にとっても光り輝く存在だったに違いない。
しかし円高が進み、海外旅行が当たり前の時代が来ると、その地位は相対的に下がっていった。CAは発展途上国や新興国などでは人気の職業だが、多くの人が海外旅行に行けるような成熟した国では、それほど人気が高くない傾向があるのだ。
そしてバブルを通過すると、コスト削減を背景に環境が大きく変わった。90年、JALがジャパンエアチャーターを設立(同社は10年に吸収合併)すると、多数採用したタイ人CAをタイの訓練拠点で教育し、のちにフィリピン人CAも採用するようになった。94年からは、JAL、ANAともに契約制CAを導入。3年間は契約社員、4年目に希望者を正社員として受け入れることになった。
また86年、男女雇用機会均等法が施行されると社会に女性が進出し、それまで限定的であった女性の職場は選択肢が増えた。それまでであればCAを目指していた優秀な人材の中には、大企業の総合職を志向するようになった者もいただろう。
前出の元CAによれば、近年、「昔のように『海外に行って美味しいものを食べてお買い物をする』という華やかな生活ではなくなった」という。
「労働環境がきびしくなったのは、00年代後半ごろ。経費節減のため、早朝・深夜のタクシーが使えなくなり、都内から成田空港に行くのも安価なバスが推奨されるようになった。滞在先も街中の立地のいいホテルに泊まっていたのが、空港近くの中心地から離れたホテルに変更になることも。契約社員は給与水準が下がった印象はなかったけれど、正社員の中には給与が激減した人もいたはず」
こうした現実が憧れを漸減させていった中、筆者はさらにLCCの台頭がイメージに大きな影響を与えたと考える。旅行でLCCを利用して、CAの仕事を初めて目の当たりにした学生は多かっただろう。そこではCAは激務をこなしながら、機内販売の売り上げを上げるのに注力している。また飛行機慣れしていない客のクレーム対応に追われる光景を見たかもしれない。そうしたCAの華やかではない一面を目撃し、落胆した可能性はある。