さらに言えば、彼らは、「国技」という「神聖」な言葉にあぐらをかいて、支えてくれている顧客の目線を失ってしまっているのだ。これまでの長い歴史は尊重したいが、現代社会のガバナンスに対応できなければ、角界の長期的繁栄は難しいと言わざるを得ない。
一般企業のガバナンスは、“同じ釜の飯を食う”経験を糧にしてきた組織内部の論理(これは相撲部屋や角界も同じ)から独立した立場で、株主や顧客の利益を反映させられるよう、「内部の論理」から一線を引いた社外取締役の設置を強く求めている。相撲協会にも「内部の論理」ではない外からの視点でチェックする存在が必要なのは明らかだ。
そうしなければ、トラブルに対応することは難しい。詳しくは後述するが、ただでさえ、日本の伝統的な組織には、「内輪の論理」が通じないトラブルには極端に弱い、という問題がある。
相撲界と企業を比べてみると……
今回の事件を、当事者はどう認識しているか。貴ノ岩と日馬富士の関係は事件前後も良好で、鳥取県警が貴ノ岩を聴取したときにも、加害者・日馬富士に対する「うらみ、つらみ」はほとんど聞かれなかったそうだ。それに、事件直後の鳥取巡業で両者が握手をしていたのは、多くの力士や関係者が目撃している。
貴ノ岩にしても、モンゴルコミュニティーにおける関係性を良好に保ちたいという気持ちがあるだろう。だから、本当は穏便に済ませたかった、日馬富士や白鵬をかばいたかった、隠しておきたかった、というのが正直な気持ちなのかもしれない。
このような心理を、伝統のある日本企業に当てはめてみよう。日本には、“同じ釜の飯を食う”ということわざがある。これは、おおよそ「あるコミュニティーに属する人々が同じものを食べることにより、同コミュニティーに対する帰属意識を持つこと、またはその意識を強化すること」という意味の言葉だ。
欧米企業に勤めるビジネスパーソンにはこのような意識はない。そもそも日本企業に比べて、ひとつの会社に在籍する年数は短い。海外オフィスに勤める知人の話によれば、彼らがひとつの会社に勤める年数は、だいたい3年が目安だそうだ。そして3年がたてば、次の会社に転職していく。