「新聞記者の人から『甲子園どうですか?』って聞かれたので『もう素敵ですね』と。また別の記者が『こんなところで左中間真っ二つのツーベースとか打ったらいいですよね』と話しかけてきたんです。『そりゃそうですよね』と相づちを打った」
すると――。
翌日の『デイリースポーツ』紙の一面には甲子園球場に立つ的場の写真に〈いきなりイメージわいた 的場 上原撃てる〉という見出しが踊っている。
〈「一番、ショート・的場」。場内アナウンスを受け、緊張の甲子園初打席に立つ。マウンド上には、宿敵・巨人の上原が…。20勝投手の初球は真っすぐ。的場の打球は、快音を響かせた。弾丸ライナーで、あっという間に左中間フェンスに達していた。
「左中間を真っ二つ。悠々の二塁打でしたよ」
的場は、スコアボードを眺めながらニッコリ笑った。宿敵を打ち砕いた“甲子園初打席初安打”。約二秒間のイメージだったが、的場はプロとして生きていく姿を、しっかりと頭に描いていた〉(99年12月16日付)
的場は記者に上原と対戦して二塁打を打ちたいなどと話していない。全く違う内容の記事となっていたことに呆れていた。
「自主トレ風景を撮影したい」という話が……
さらに――。
正月、尼崎の実家に滞在していた的場の電話が鳴った。相手はタイガースの広報担当者だった。
「元旦か2日だったと思います。大学が休みだったんで、ゆっくりしていたわけですよ。そうしたら『的場君、1月4日空いている?』と。自主トレ風景を撮影したいので、形式的に甲子園で練習して欲しいっていうんです」
いやいやいや、と的場は一度は断った。しかし、広報の説得で”自主トレ”をすることになった。
「ぼく、そのとき布団の中にいたんですよ。全然身体、動かしてなかったです。えらいこっちゃと、ボーイズ(リーグ時代)の友だちに連絡して、『ちょっと手伝ってくれへんか』と」
翌日の『デイリースポーツ』紙の記事はこうだ。
〈真冬とは思えないポカポカ陽気の中で「我が庭」となる甲子園球場の感触を存分に味わった。ランニング、キャッチボール、ペッパーと軽くこなし、約一時間で「甲子園独占自主トレ」をフィニッシュ。「人がいなかったから寂しかったですよ」というジョークも目は笑っていなかった。野村監督が今季に勝負をかけるように、的場もこのプロ一年目に自身の未来を見据えていた〉(2000年1月5日付)
ドラフト一位、期待の新人選手が自ら志願し甲子園で自主トレを始めたという調子である。
スポーツ新聞側から何らかの形で的場の記事を作りたいという要請があったか、あるいは、広報が気を利かせたか――。どちらにせよ、選手のため、ではなかった。
野球で結果を出すことはもちろんだが、人気球団のドライチはこうした有形無形の圧力にも打ち克つことも必要なのだ。
1968年3月13日、京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。