▼おっぱいの思い出

もうすぐ手術という段階にきてやっと、「おっぱいの思い出」がオートマチックな走馬灯のように私の脳裏を駆け巡る。

あれは小学4年生の頃、同級生より成長の早かった私はクラスで一人だけブラジャーをする羽目になってとても恥ずかしかったこと。当時「将来もの凄い巨乳になってしまうのではないか……」と本当に心配してたこと(残念ながら杞憂に終わる)。小学5年生でチカンに胸をつかまれ「男もおっぱいも世界からなくなればいい!」と思っていたこと(後日見つけて通報→逮捕)。

年頃になったら「どうやら普通より小さいらしい」と気づき、パッドなどの偽装に手を染めたこと。大人になって貧乳好きの彼氏に「ちっぱい~♪」(失礼な!)と喜ばれたりしたこと。大型のエレベーターを降りた後、私を乗せたストレッチャーは手術室へ向かう扉をからからとくぐっていく。

そしてあれは長女が生まれたときのこと。陣痛から56時間たって途中で破水してしまい、生まれたばかりの長女は菌に感染してしまってすぐにNICUに入った。私は娘に会えず、翌日の初授乳に備えて看護師さんによるおっぱいマッサージを受けたのだが、これがもう痛くて痛くて。それなのにまったく母乳が出なくて。

「一晩中練習してください」と看護師さんにきつく言われ、私は暗闇の中で一人、痛がりながら自分のおっぱいを揉んで揉んで揉みまくった。「いったい私は何をしてるんだ……」と途方に暮れながら。しかし私のがんばりは報われず、母乳は滲む程度でさっぱり出ないのだった。

▼我が子の泣き声を聞くと胸が張る

そして次の日、キャップを被り無菌室に入る格好をさせられ、NICUのケースから出された娘を初めてこの手で抱っこしたその途端、私の両方のおっぱいからあんなに出なかった母乳が滝のように滴り落ちたのだった。

(左)長女誕生。この顔を見るや、母乳がしたたり落ちた(右)次女誕生直後。おっぱいは無事に稼働した

あまりのことにびっくりして娘を抱いたまま棒立ちしていると、受け皿のない母乳はスモックをつたい足首まで到達していた。それは「実物を見るまでは稼働しませんよ!」と、ストライキを起こしていたおっぱいが、赤子の存在確認後フル稼働し始めた瞬間だった。これは哺乳類、霊長類ヒト科の機能の一つなのかもしれないが、私にはおっぱいに意思があるように感じられたものだ。

同時に、お腹から出した後も、娘との絆をおっぱいがつないでくれているようにも思った。目が見えないのに乳首を捉えて、一心不乱に私のおっぱいを吸う娘を見て、この世にこんなに愛しい生き物がいるんだ、と感動したのはもう12年も前だ。

次女が生まれたのは私が40歳のときだったので稼働するか心配だったが、次女の泣き声を聞くと胸ががちがちに張りまくり、飲ませると萎むという呼応関係は健在だった。仕事に行く前の日には母乳を哺乳瓶に搾り出して冷凍するのだが、その姿はまるで乳牛のようで、夫と長女と毎晩笑いあったものだ。そして、次女は私の母乳をたらふく飲んで、ガリガリに生まれたにもかかわらず3カ月でぷくぷくに太った。