▼優先順位はまず「命」、次に「仕事との両立」
次女の七五三。8歳年下の夫と、当時10歳の長女と4歳の次女

私が勝手に決めた優先順位としては、二人の子ども(12歳と5歳)もまだ小さいことだし当然に「命」が第一で、第二にはやはり「仕事と両立できるかどうか」である。家族を食べさせていかなきゃいけないこともあるし、何より11月以降に入っている仕事でキャンセルが不可能なものもある。髪が抜けても、おっぱいもリンパも切っていいから、抗ガン剤治療だけは「仕事との両立が厳しそうに思えた」ので、できることならば避けたかった。それでも、抗ガン剤治療を拒否した女優さんが亡くなったニュースはまだ記憶に新しい。何が決定打かはわからないが、前例がある限り家族は心配するだろうし、命と引き換えならば抗ガン剤も仕事のお休みも受け入れなければならないだろう。

診察室から、告知を受けたであろう20代後半とおぼしき女性が、泣きながら出てきたのが見える。看護師に支えられ、励まされつつも憔悴しきっている彼女だって、きっと家族がいて仕事があるのだ。私よりずっと若い分、そして「乳ガン」という、ガンの出現した場所が場所だけに、女性としての悩みは多岐にわたって深いだろう。どうか、彼女のガンが重いものでありませんように。前向きに治療に取り組めますように。勝手にシンパシーを感じてそんなことを思いながら、時計を見たら既に17時近くなっており、私はやっと名前を呼ばれ、診察室に入った。

そして、ガン告知を受けた。

▼我がおっぱいに未練なし

先生は多少言いづらそうに、温存(ガンを部分的に取って乳房を残す手術)と全摘(ガンのあるほうの乳房をすべて摘出すること)のメリット・デメリットについて、要は「温存でもいいけど、全摘出のほうが再発率が低いですよ」という説得トークを、データを用いながら慎重にし始めた。

先生のお気遣いは大変ありがたかったが、そもそも「抗ガン剤治療なし」で「切って済む」のであれば「我がおっぱいに未練なし」の私である。聞けば、切ったその場で乳房再建の事前処置をこの病院でもやってくれるとのこと。先生の説得を半ばさえぎるように、「切ります! 切ります! 全摘ってことで!」と、交渉成立。威勢のいい競りのように手術方針がさくっと決まった。

「ついでに、元のおっぱいより大きくするとかっていうのは難しいですか?」と、あくまでもついでに聞いてみたが、「健常な左乳房に合わせるので無理です」と、先生に真顔できっぱり返される。こちらは交渉不成立。

その後、知り合いの医者にメールでセカンドオピニオン的に相談。手術に耐えうる体かどうかの検査をいくつか流れ作業でこなしたりしながら、約3週間後の右乳房全摘出&同時再建手術に備えることになるのだった。

 

2016年11月8日:手術当日

2日前に入院し、検査や診察を経て、やっと手術日を迎えることができた。手術日が決まってからというもの、痛みはないが、ガンのしこりはずっと感じていたので、「こうなったら早く切ってしまいたい欲」はムラムラと募るばかりだった。

2016年12月、川崎貴子さん(右)は河崎環さん(左)とPRESIDENT Onlineで対談している。実は乳がんの手術の直後だったことを、担当編集者も全く気付かなかった(記事:http://president.jp/articles/-/21008

だから、私はこの日を、ばたばたと忙しくしながらも待ち望んでいたのだ。手術着のようなものを着た看護師さんがやってきて、私はストレッチャーに乗せられる。そして、手術室へ向かう長い廊下をからからと運ばれていくとき、「そう言えば」と不意に思う。

何を今更だが、右乳房と今日でお別れだということを急に思い出したのだ。乳首再建の場合、後日左も形が変わる可能性があるから、こちらも近い将来お別れであるということも含めて。