この先の結末を私は知らないのだが、ここで重要なのは、「もう知らん」と言いながらも、本当のところ「やめてもらっては困る」という顧問の側の事情である。顧問が部活動に執着するとき、そこから離脱しようとする生徒は、顧問に抵抗する反乱分子のように見える。これを指導し説得することがまた、部活動指導の一環と考えられ、さらにはそこに教員としての指導力の高さがあらわれるとみなされる。

もちろん、何でも生徒の思い通りにすることには、慎重でありたい。だが、部活動はそもそも生徒の自主的な参加により成り立つものである。「部活やめたい」という生徒に、顧問が激怒する理由はどこにもない。

「内申」という束縛の欺瞞

部活動を「やめさせない」圧力には、人間関係とはまったく別のものがある。人生を左右する入試における、いわゆる「内申」の影響力である。本書第8章で詳述する「部活問題対策プロジェクト」のネット署名「教師編」に寄せられたコメントを紹介したい。

子どもは、いつも学校に半日以上拘束され、へとへとになって帰宅します。そんな子どもの姿を見るのがつらいです。とにかく部活の時間が長いのです。正直、そのスポーツを一生涯やるわけではありません。なぜそれほど部活に時間をとられるのでしょうか。せいぜい週に2日ほどで十分ではないでしょうか。子どもは、本当は帰宅部を希望していますが、内申のことがあるので、帰宅部にはなりません。内申の制度さえなければと思います。(文意を損ねないかたちで、文章を適宜編集した)

この生徒は、「内申」を気にして部活動がやめられないという。ネット署名のコメントに限らず、このような「内申」のせいで部活動を続けているという声はあちこちで聞かれる。

とりわけ、部活動顧問がクラス担任や教科担任であると、部活動をやめること=担任に背くことと理解され、それが内申、延いては人生に影響を与えるのではと、不安が高まる。

「内申」というのは、入試業務でいうところの「調査書」のことを指していると考えられる。この調査書がしばしば「内申(書)」と呼ばれたりしている。

一般には、入試の調査書は、大きく「評定」とそれ以外の項目とにわかれる。評定とは、各教科の成績のことである。そして評定以外に、「出欠の記録」や「健康の記録」、「行動の記録」「特別活動(生徒会や学校行事)の記録」、「特記事項」、「総合所見」などさまざまな記載事項がある。部活動については、特記事項や総合所見、その他の欄等のどこかに書かれることになる。

ここでまず強調しておきたいのは、基本的に調査書に生徒の悪口は書かれない。つまり、「部活動をやめたから、忍耐力がない」というようなことは記載されない。その代わりに、「公民館が主催するイベントの企画を手伝った」や「英検○級の取得など、英語の勉学に励んだ」といった前向きなことが記載される。