移住者の「0円」という勘違い
――「善意のエコノミー」とは、具体的にはどういうものですか。
【若新】地域のコミュニティを構成する人たちが、それぞれ必要以上に持て余しているモノを提供することで、お互いに資源をうまく循環させるような仕組みです。これについて、移住政策を実施していく中で、いろいろわかってきたことがあります。
まず、お互いに提供するモノの値段や価値は、均等である必要がないということです。仕事や暮らしぶりによって、地域の人たちはそれぞれ持て余しているモノの量も中身も違います。売れば高い値段がつくようなモノを提供できる人もいるし、そのような余裕はないけれど、例えば誰かからもらったお土産の「おすそわけ」ならできる、という人はそれでいい。モノは提供できないけれど、時間ならあるという人は、近所の子どもの送り迎えを申し出たり、集会所を掃除したりと、自分ができる範囲内で、コミュニティに貢献するということです。
また必ずしも、何かをタダでくれた「その人」に直接、お返しをする必要もありません。モノが提供されている対象は個人ではなく、そのコミュニティ全体であり、誰かに何かを提供してもらった人は、今度は自分がコミュニティ内の誰かに、できる範囲のことを提供します。量も順番もタイミングもバラバラでOK。ちょうど誰かが持て余していたモノを、ちょうど欲しい人がいたならば、そのモノの価値はコミュニティ内で最大化します。
大切なのは、それぞれが善意を持ってこのシステムに貢献しようという気持ち。それがあれば、提供するモノの価値や順番が不均衡でも、誰も文句を言わない。これが、僕が考える「善意のエコノミー」です。
――なるほど、まさに「お互いさま」という気持ちで成り立っているわけですね。では、それらが「無料サービスではない」とは、どういうことでしょうか。
【若新】外から移住してくる人の一部は、これを「0円で販売されている無料商品」と勘違いしてしまうようなのです。都会で生活していると、0円でモノやサービスがやり取りされることは、あまりないですよね。すべてはお金で清算されます。その金額を払えば、誰でも契約は成立・完了です。それ以上は求められません。それと同じように、地域の人たちがエコノミーシステムへの貢献として提供したモノを、0円という市場価格で販売されている「無料のサービス」だと勘違いしてしまうんです。0円で購入するという契約が完了した、と。
もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまう
――それはつまり、人によっては「もらいっぱなし」ということ?
【若新】「0円」という価格で販売されていたわけではありませんから、もらいっぱなしのままでは、一方的な搾取になってしまいます。彼らは、「善意のエコノミー」という特有のシステムに気づいていません。「タダでいいと言うから、もらったんだ」、「見返りが必要なら、最初から値段を言ってほしい、買うから」などと、売買契約を前提に考えてしまいます。でも、そういう話ではないんです。「善意のエコノミー」は、それぞれが可能な範囲で資源を分かち合う循環型のシステムです。タダだから「0円」という値札がつけられて無料販売されているわけではなく、言ってみれば「プライスレス」の相互扶助なんです。
――なるほど、「0円」での売買だったら毎回リセットされますが、この相互扶助システムはもっと長いタームで「もらう」「あげる」が続く。そこも違うのですね。……それにしても、誰かに何かをもらったり、してもらったりしたら、今度は自分にできることで返そうと思うものです。でも、そう思わない人もいると?
【若新】「0円」という対価を払った、売買契約が完了したと勘違いしてしまうから、そこで終了できるんです。ちなみに、そのように「もらうだけ」の人は、田舎の地域にもたまにいます。かといって、そういう人たちがその地域から追い出されるわけでもありません。別に、なにかの契約に違反したわけではありませんから、近所から回覧版もまわってくるし、地域のイベントにも誘われます。ただし、周りの人たちは「善意が搾取されている」と感じることでしょう。次第に、循環の輪からは外れていってしまうと思います。