励ましの言葉は何の役にも立たない

昔、安達祐実が主演したテレビドラマ『家なき子』で、「同情するなら金をくれ!」というセリフが注目され、新語・流行語大賞にも選ばれましたが、私の気持ちも、まさにそのような状態でした。

性格が完全にねじ曲がってしまった、といってもいいかもしれません。たとえば、わが家が不幸になれば幸せになる人もいる、と信じて疑わないようになりました。これは昔から「人の不幸は蜜の味」といわれているからです。

一番苦しかったのは、お金がないことで妻を苦しませたことでした。夫としての価値はない、と思ってしまうのはもちろん、なぜ自分は生まれてきたのか、と自分の存在すら疑問に思うようになり、妻を苦しめるために生まれてきたに違いない、とまで思うようになりました。

ここまでくると人と会うのがイヤになり、なぜわが家がこんな目に遭わなければならないんだ、という思いから被害妄想へとつながり、世の中すべての人が敵に思える時期もありました。先祖の祟りか? 少なくとも守ってはくれない、と先祖をも怨んだ時期もあるほど、追い詰められました。ここまでくると、自分の体に流れている血が汚らわしく思えてしまいます。

治療を続けることで家族が不幸になる、と思った妻は、治療をやめようと何度もいうようになり、そのたびに私は反対しました。しかし、お金がなければ生活は苦しいままで、ただでさえ闘病でつらい思いをしている妻を、さらに苦しめることになります。

わが家がお金で困っていることは娘も知っていました。そのことで我慢してくれたりしたのですが、友だち関係で気になることがありました。お金持ちや華のある子たちを避けるようになったのです。時には大した理由もないのに、憎んでいるように思えることもありました。家で惨めな思いをしていたからでしょうが、娘の心の闇を見たような気がしました。

そしていつの日からか、私も妻もうつになっていました。お互いに薬を飲むことを拒んでいますが、私は人と会ったり、親の声を電話で聞いたりすると体調を崩すこともあり、くだらない映画を観るとなぜか涙が出たり、音に敏感に反応して精神がピリピリしたり、ひとりごとを呟くことが増えたりするなど、挙げればきりがないほど、感情のコントロールが利かないことが増えました。