「友達部下」がありえない理由
組織運営を進めていくうえで、上司と部下は絶対に対等であってはならない。上司は、チームの目標達成に責任を負う。そのため「ルールを決定することと、部下がルールを守れているかを管理する権限を有する」存在である。また、部下はチームの一員として「上司の設定したルールを守り、実働責任を果たす」存在であるといえる。つまり、上司と部下というのは、明確な上下の関係にあり、対等ということはありえないのだ。
上司はルールを決定する立場として、失敗の全責任を負い、部下はルールに従い実働するということにのみ責任を負う。こうすることにより、初めて責任の範囲が明確になる。
上司と部下が意識上で対等になってしまうと、この責任の範囲が不明確になる。ある案件がうまくいかなかったとする。「君達もよく頑張っていたんだけどね、こっちの指示が悪かったよ」「自分たちが力不足でした。課長だけが悪いわけじゃないですよ」という言葉を掛け合えるのはフランクでよい関係のように感じられるが、何も改善されない。お互いに傷を舐め合い、問題の所在を曖昧にしているだけだ。
上司は指揮命令者として、部下の不足を明確に指摘するという責任がある。部下はそれを認識し、不足を埋めることで成長する。そうやって、チームは勝利に近づくものだが、対等な関係ではこの個人やチームを成長させる働きが止まりやすい。居心地のよい関係を維持するために、「不足を指摘する」という、相手に恐れや不快な思いをさせることが避けられるからだ。
さらに、この対等な関係が一部の部下にだけ当てはめられると、悪影響は広範囲に及ぶようになる。
例えば「社長にとって、昔からの友達であるAさんだけは特別だからな」「課長へのお願いは、仲が良いBさんからの方が通りやすいんですよ」などというように、特定の部下だけが許されるという「特例」の存在を、他の部下たちが認識してしまうのだ。