原監督が見極める「可能性ある選手」とは
選手を見極める立場にある監督。原氏は、その際に感性や表情が豊かであるかどうかを注視していると言います。ただ走るスピードが速い選手よりも、人として豊かであり、強さを持つ選手に可能性を感じているのです。タイムという数値で序列をつけるのは簡単です。しかし原監督は、あえて数値以外のところに目をつけ、選手の素質を見極めようとしています。
「ただ黙っておとなしく言うことを聞いている子じゃなくて、コミュニケーションが出来る子がいい選手になる。陸上はどうしても個人プレーになりがちなんだけど、いま、あえて全体ミーティングで、“それじゃだめだ”ということを言っています。世の中に出たら、ただ自分だけが走ればいいわけじゃないんだからなって。だから陸上選手は会社の中で出世しないんだよってね」
原監督のそうした考え方が、自著『人を育て組織を鍛え成功を呼び込む勝利への哲学』で紹介されています。
同大学で活躍した神野(かみの)選手も、箱根駅伝のインタビュー時に表現力を発揮。選手招集の際に「かみの」ではなく「じんの」と呼ばれたエピソードを語り、「これで“かみの”と覚えてもらえたでしょうか」と笑いを誘いました。あっけらかんと言ってのける姿は、これまでの駅伝選手の雰囲気とは、明らかに違うものでした。
陸上競技だけでなく、従来の運動部文化では、個性はあまり尊重されてきませんでした。軍隊かと思うような上下関係があったり、根拠のない精神論を押し付けたり、時には暴力もふるわれたりしました。練習中に水が飲めない、後輩はどんなに疲れていても、練習後に先輩へ何時間もマッサージを施さなければならない──そんな理不尽もまかり通っていました。私生活でも自由な髪形、服装が認められません。この歪んだ上下関係、環境こそが、強い選手を育てると認識されていたのです。
しかし、原監督が求めているのは、「感性や表情豊かな選手」。自分の言葉を持って表現できる選手こそ強いと考えるのです。