「自宅で生演奏」バイトから始まった
小間のキャリアは独特である。人と同じことはしない人生とも言える。
1977年、神戸に生まれた小間は高校2年生の時に阪神淡路大震災に襲われた。家族は無事だったが、友人が亡くなり、自宅周辺で遺体が折り重なる光景も目の当たりにした。
「生きているからには何かしなければ」と思った小間は、中学時代から熱中していたピアノを演奏し、集会所や飲食店で被災者を慰めることを始めた。そのピアノも正式に習ったものではなく、独学の三本指演奏でジャズやポップスの伴奏までできるようになったというのだから驚く。
甲南大学入学後も友人と演奏活動をしている中で、大きなイベントでの演奏も任されるようになり、ふと「自宅で生演奏」というアルバイトを思いついた。高校時代からほしい物を買うには小遣いではなくバイトでカネを貯めるという生活をしており、そんなアイデアを思いついたのだ。
これがヒットし、自分たちでは間に合わなくなって、ミュージシャン仲間を派遣するビジネスに発展、なんと月収100万円にまで成長する。人が周囲に集まり出すと、みんなで格安旅行を楽しみながら、旅行代理店のまねごともするようになった。さらに手元資金を稼ぐために始めた家電量販店のバイトで、販売員としても才能を発揮すると、販売員を派遣するビジネスも始めた。これは商才としか言いようがない。
大学4年時に祖父の休眠会社を譲り受けて、コマエンタープライズという派遣ビジネスの会社を設立した。祖父はかつて建築会社を経営し、小規模な会社ながらも有名な建築物を手がけていたという。
この会社がさらに成長し、外資系メーカーなどのセールスマーケティングを請け負う人材を派遣するようになった。最盛期にはマネジメントスタッフ40人、売上20億円になっていた。
会社が成長すると共に、取引先の担当者も出世し、彼らとの会話を通じて自分がビジネスや経営の知識が不足していることを痛感した。そこで、2009年、京都大学大学院経営管理教育部(MBA)に入学した。このことが小間の運命を変えた。
そこで、松重和美教授(京都大学名誉教授)と出会った。松重教授は1996年に発足した「京都電気自動車プロジェクト」を主導しており、興味を感じた小間は参加した。
「活動するうちに京都には部品メーカーも多く、EVをベンチャーが作るチャンスではないかと考え始めました」
プロジェクトは一通りの成果を出し、収束に向かっていたが、このまま終わらせたくないという松重教授の思いもあり、小間はビジネス化に動いた。松重教授も起業と経営の経験のある小間に期待した。