「強いニッポン」よりも「考えるニッポン」
戦後の日本においては、目の前の復興や発展が最優先事項であり、自分たちの国の成り立ちや、あり方、世界での振る舞い方などについて、あまり日常的には議論されてきませんでした。
そもそも、僕たちはそのような議論ができるように教育を受けてこなかったのだと思います。義務教育の中の社会科の授業で、国内の山脈や平野の名称は全部覚えさせられたのに、日本国憲法の項目すら習いません。その成り立ちや背景、天皇のこと、そして軍事のことなどについて、いろいろな問題や解釈があるのに、それに触れることすらありませんでした。
日本は戦争に負けました、連合国軍の占領下に置かれていました、憲法をつくってもらいました。そしてその憲法によって日本は「戦争を放棄」しました、だから平和になりました。そのくらいのざっくりした外観だけが、僕たちの学んだ平和の物語だったのです。
しかし実際には、戦争を放棄(戦争をしないと宣言)したから日本が平和になったわけではありません。アメリカに肩代わりしてもらう契約をしたから、です。そんな単純なことですら、僕も大学生になるくらいまでちゃんと解っていませんでした。
これも最近知ったことですが、第二次世界大戦後、世界から戦争や紛争がなくなった年は1年もありません。世界平和など、まだ一度も訪れてないのです。その中で、「僕たちは知らないよ」という他人事のような立場をとっていただけでした。それができたのは、戦いや争い(のための対策)を「外注」していたからであり、その結果、そのことについては自分たちで何も議論しなくてもよくなっていました。でもそれは、根本的に問題がなくなっていたわけでなく、ずっと棚上げし続けていただけだったんです。
だから僕は、今求められているのは「強いニッポン」よりも「考えるニッポン」なんだと思っています。