自律のための「考え続ける」教育を
もちろん、戦争や紛争の続いている今の地球の中で、国の軍事的な「強さ」を高めることはキレイごとぬきに扱うべき重要なテーマだと思います。でも、世界の国々との関係は強い・弱いだけでは片付けられません。資源や技術の調達・支援など、いろいろな国と複雑に相互関係を結んでいるわけであり、その中で、日本の置かれた状況や立場をわきまえ、振る舞い方を考えていく必要があります。それにこれは、考えてすぐに答えがでるような簡単な問題ではないので、今の社会システムを担っている大人たちが扱うのだけでなく、義務教育課程の子どもたちや学生・若者たちが今から時間をかけて考え続けるべきことだと思うのです。
国とは何か、日本とは何か、日本人とは何か。世界の中の日本はどうあるべきなのか。政府のつくった文章などを読めば、どこかに定義づけられているのかもしれませんが、大切なのは、定義を知ることではなく、一人ひとりが考え、自分のこととして体感することのはずです。こういう国家観や民族意識の話題になると、すぐに右だのなんだと言って眉をひそめる人もいますが、はっきりとした立場や意見を極端に確立させて表明する必要なんてまったくないと思います。国の歴史や背景を知って、どのような立場・解釈が存在しているのか、どのような難しい問題を抱えているのかなど、ちゃんと考えてみることそのものに価値があります。
それは、なかなか答えの出ないややこしいテーマです。だからなのか、これを「考え続ける」という教育が僕たちの社会生活から抜け落ちてしまっていたことで、「ネット右翼」のようなものが安易に増殖してしまったんじゃないかとも思っています。
僕たちが学校で手にとってきた教科書には、客観的事実や科学的なルールだけが書かれていました。そして、客観的にはわりきれず科学的には証明できないあいまいな出来事や問題、テーマなどはあまり扱われません。この「あいまいさ」の中にこそ、これから僕たちが考えていかないものがいっぱい詰まっているのに……。
トランプ当選によって、図らずも、これまで日本が棚上げしてきたわりきれない問題にスポットライトが当たりました。それは、すぐには答えなんて出ません。でも、常にみんなで議論して考えるという時間が続いていけば、将来の判断や行動につながる重要なポリシーやスタイルのようなものが、一人ひとりの中になんとなく出来上がっていくんじゃないでしょうか。それがその人の中の日本であり、日本人として自律的であるということなんだと思います。