「強いニッポン」よりも「考えるニッポン」

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
人材・組織コンサルタント/慶應義塾大学特任講師
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生が自治体改革を担う「鯖江市役所JK課」、週休4日で月収15万円の「ゆるい就職」など、新しい働き方や組織づくりを模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施し、さまざまな企業の人材・組織開発コンサルティングなども行う。
若新ワールド
http://wakashin.com/

戦後の日本においては、目の前の復興や発展が最優先事項であり、自分たちの国の成り立ちや、あり方、世界での振る舞い方などについて、あまり日常的には議論されてきませんでした。

そもそも、僕たちはそのような議論ができるように教育を受けてこなかったのだと思います。義務教育の中の社会科の授業で、国内の山脈や平野の名称は全部覚えさせられたのに、日本国憲法の項目すら習いません。その成り立ちや背景、天皇のこと、そして軍事のことなどについて、いろいろな問題や解釈があるのに、それに触れることすらありませんでした。

日本は戦争に負けました、連合国軍の占領下に置かれていました、憲法をつくってもらいました。そしてその憲法によって日本は「戦争を放棄」しました、だから平和になりました。そのくらいのざっくりした外観だけが、僕たちの学んだ平和の物語だったのです。

しかし実際には、戦争を放棄(戦争をしないと宣言)したから日本が平和になったわけではありません。アメリカに肩代わりしてもらう契約をしたから、です。そんな単純なことですら、僕も大学生になるくらいまでちゃんと解っていませんでした。

これも最近知ったことですが、第二次世界大戦後、世界から戦争や紛争がなくなった年は1年もありません。世界平和など、まだ一度も訪れてないのです。その中で、「僕たちは知らないよ」という他人事のような立場をとっていただけでした。それができたのは、戦いや争い(のための対策)を「外注」していたからであり、その結果、そのことについては自分たちで何も議論しなくてもよくなっていました。でもそれは、根本的に問題がなくなっていたわけでなく、ずっと棚上げし続けていただけだったんです。

だから僕は、今求められているのは「強いニッポン」よりも「考えるニッポン」なんだと思っています。