会見の席で手帳に書きとめた社長の言葉

――9月16日、ライトアップされてひとり壇上に立つ社長の大坪は、報道関係者が並ぶ客席に三度、すべての方向に対して頭を下げた。

「本当に長い間、『松下さん』と『ナショナルさん』と、ご愛顧いただきましたことを、心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました……」

デザインカンパニーの南部は、これで一つの時代が終わるのだと身震いを覚えた。

その夜、テレビニュースで会場の様子を見た技術本部の今井は、時間に追われながらの開発の日々を振り返り、「ようやくここまできた」と安堵した。

そして客席にいる中島は、社長の言葉に静かに耳を傾け続けていた。

彼は大坪が語ったある一文を、自身の黒い手帳に書きとめた。

〈全従業員の1秒の努力も一滴の汗も無駄にせず、「パナソニック」に結集したい……〉

東京本社の看板も新しい社名に変わった。

1月からの8カ月間、自分たちはまさにそのようにして働いてきたのではなかったか。この間、中島には何かをゆっくりと考えるゆとりはなかった。ただただ一つの目標を達成しようと必死だった。

舞台の背景だった幕が開く。

「パナソニック」のロゴが付けられたブライトシルバーやマホガニーレッドの洗濯機や冷蔵庫が、颯爽と目の前に現れる。松下幸之助が大阪の自宅で二股ソケットの販売を始めたのは90年前――日本の昭和産業史を確かに体現した「松下」「ナショナル」の名が、いまこのように消えていこうとしていた。

社名変更が行われる10月1日に向け、仕事はまだ山積みだったが、それでもようやく1つのゴールを迎えたと、このとき中島は思っていた。そして、それは社史に刻まれる新たな始まりの瞬間に、自分が立ち会っているのだという実感でもあるに違いなかった。(文中敬称略)

(増田安寿=撮影)