松下電器からパナソニックへ。08年1月、社名変更に伴うブランド統一のプロジェクトチームが結成された。
郷愁に浸る間もなく走り続けた担当者たちは、90年の幕が下りるとき、何を想ったか――。
2008年9月16日、東京プリンスホテルの会場には、報道機関を中心に約1500名の関係者が詰めかけていた。
2週間後に社名変更を行う松下電器産業が、新生パナソニックとしての第一弾製品を発表する会見――ライトアップされた壇上の背景には、宇宙空間に浮かぶ地球が映し出されている。惑星の湛える水が、「Panasonic」の深い青色を彷彿とさせた。
広々とした壇上に社長の大坪文雄がたったひとり、佇むような様子で現れた瞬間、客席から様子を見守っていた中島幸男は不意に胸をつかれた。大坪が手に1枚の原稿を持つこともなく、際限なくフラッシュを浴びつつ客席を見据えていたからだ。そして1500名の観衆に向き合うと、彼はゆっくりと喋り始めた。
「……実は、私は今日、皆様に『松下電器の大坪です』とご紹介させていただく最後の機会だと思って、この場に出席させていただきました」
真っ白なライトが、藍色の舞台の中に経営トップの姿をはっきりと浮かび上がらせている。
今回の社名変更と同時に、「松下、ナショナル、パナソニック」という3つのブランドも、すべてパナソニックに統一される。大坪の孤高ともいえる姿からは、その決断にかける並々ならぬ決意が伝わってくるかのようだった。
「うちの会社のトップながら、なかなかカッコイイやないか」
中島は思った。
「見ていると、身振り手振りを交えながら、大坪さんが自身の肉声で語っていることがわかるんです。原稿なんて一切ない。自分の言葉です。わーっとこみ上げるものがありました」