経営者の身になにかあれば、それはすぐに「経営問題」に発展する。世界一の自動車会社のトップは、そのリスクを承知で、過酷なレースに出続けている。その目的は、「現場」から会社を変えること。孤立無援の状況で、「創業家」の運命を背負った男の覚悟を、ドイツで聞いた──。

陽が沈むに連れて、空に立ち込める雲が厚くなっていった。徐々に降り出した雨が、広大な森の中にあるコースの一部を濡らし始める。翌日に24時間耐久レース決勝を控え、予選アタックを繰り返すクルマのライトの光が、まだ辛うじて乾いている路面の上を川の流れのように過ぎ去っていく。

トヨタ自動車の社長である豊田章男が「TOYOTA GAZOO Racing」のピットに現れたのは、ドイツ北西部のサーキット・ニュルブルクリンクの空が東から夕闇に溶けつつある、そんな時間帯のことだった。

豊田は4時間ほど前に空港へ着いたばかりだったが、サーキットに併設されているホテルに到着すると、すぐさまチームのピットへ向かったようだった。長時間の移動のためだろう、目は少し赤く、表情には見るからに疲労の色があった。だが、それでもレーシングスーツに身を包んだ彼は、周囲のメカニックたちに促されるようにヘルメットを被る。それからレクサスのスポーツカー「RC」に乗り込むと、トヨタのトップテストドライバーの一人・勝又義信の運転する「IS F」に先導されてコースへ出ていった。