縦割り・前例主義の貧困な発想が国を滅ぼす


今通常国会の答弁でも、官僚原稿を棒読みする姿が散見される菅首相(AP/AFLO=写真)

日本が機能不全に陥っている理由の一つは、役所が肥大化、専門化しすぎて、全体像を描けなくなっていること。たとえば外務省の人間に、「日本の外交はどうあるべきか?」と基本的な質問をしても誰も答えられない。「私はアメリカの専門ですから」「中国の専門だから」という外交官ばかりだ。半島有事のときに韓国にいる日本人(長期3万人+観光2万人)をどうやって救出するのか、といったことを聞いても「ン?」ってな具合である。

厚労省は国家予算の29%を握る巨大官庁だが、そこで取り扱うのは労働問題から福祉、年金、介護、医療、雇用といった問題まで多岐にわたる。“ミスター年金”こと長妻昭・前厚労大臣も、その圧倒的なボリュームに打ちのめされて潰れたようなもの。事務方トップの事務次官も、旧労働省出と旧厚生省出のタスキがけ人事だから、厚労省という箱全体を見渡せる人材がいない。

少子化問題一つとっても全体感を持ち合わせた役人がいない。たとえば働きながら子育てをするには、職場や自宅の近くに幼子を預かってくれる場所が必要なことぐらい、子供がいる家庭の視点に立てばすぐにわかるだろう。ところが役人からはそんな発想は出てこない。そういう場所をつくろうにも、どの部署が何の予算でやるのかさえ役人にはわからないからだ。

幼稚園や保育所が足りないといわれているから幼稚園や保育所をつくるというのなら動ける。しかし、親が突然の残業から帰ってくるまで預かってくれる施設が必要という話になると、途端に身動きがとれなくなる。せいぜい保育施設の利用時間を夜8時から10時まで延長して、残業手当を出すための予算を取ってこようというのが厚労省的な発想で、答えはまったく違ったものになる。

あるいは施設などつくらずに地域に任せるという解決策もある。地域には子育て経験が豊富で元気な高齢者が大勢いるのだから、そうした人たちに子供を預かってもらう仕掛けをつくればいい。しかし、総務省からはそんな発想は絶対に出てこない。