華僑は直接自分でやらなければ納得しない

――華僑のネットワークに認められるようになるまでにはどのくらいの時間がかかりましたか。

華僑というのは5年ぐらい投資のお金の使い方や人を見ます。シビアな世界だと思いますが、いったん親しくなると、本当に理解し合えると思います。

――日本の会社であるアジアグロースキャピタル(旧森電機)の社長に就任したのはどのような経緯ですか。

ファー・イースト・コンソーシアム・インターナショナル・リミテッドが日本の会社を買いたいということで東海観光や森電機の買収に参加したのですが、私が社長を務めることになり、97年には東海観光社長、同年6月には森電機社長に就任しました。

その後私は東海観光の社長を辞め、森電機に専念することになり、そこから自分でやるようになりました。その後2006年にみずほ銀行から不良債権処理の一貫として千葉県にある橋梁メーカー、サクラダという会社の再建の要請があったのです。しかし将来性が見えにくい事業だけでは再建はできない。そこで成長性のある事業と併せて立て直しをしようと質屋業を営む大黒屋を傘下に収めました。

――ファンドの経営者が実業の世界に入っていくのはめずらしいのではないでしょうか。

最初、私は直接経営をしなかったんですが、これには違和感を抱いていました。華僑は直接自分でやらなければ納得しない。ハンズオン(実際に体験する)という考え方を持っているのです。私が先ほどの香港財閥のトップに就いたときに華僑からマンツーマンで半年ほど経営の手ほどきを受けたのですが、そのとき彼らは小切手帳を絶対に手離さないんですよ。その影響で私は今でも入出金は自分でやります。実印も誰かに預けることはしない。そうでないと、資金の流れがわからない。それに中国人は自分の運命を人に委ねるようなことはしたくないんじゃないかと思います。

――実際にグローバルな世界でビジネスをやってきて、日本人についてはどう思いますか。

日本からアジアに行こうという動きはかなりあるようですし、日本人には大きな可能性があると思います。しかし私もアジアでずっと投資してきていますが、そう簡単ではないと思います。私は華僑の中で働いてきましたから様々なリスクに直面し、それを感じ取りながら経営をしてきました。しかし日本人は安全な環境の中でビジネスをやっていますから、なかなかグローバルな、特に様々な面で未整備な新興国の社会の中でのリスクというものが実感としてわからない。温室で育ってきた経営者はグローバルプレーヤーにはなれません。無法地帯のようなところにいって自分なりの尺度をもってチェックしていく、そんなことがグローバルなマーケットでは求められているのです。

小川浩平(おがわ・こうへい)
アジアグロースキャピタル社長
1956年東京生まれ。慶應義塾大学卒。79年トーメン入社。87年ゴールドマン・サックス・アンド・カンパニー入社。94年ファースト・イースト・コンソーシアム・インターナショナル・リミテッド社長。97年東海観光社長。同年6月森電機(現アジアグロースキャピタル)社長。2013年4月に大黒屋社長に就任。
関連記事
伊藤忠絶好調! 変化対応できた商社だけが生き残る理由
死角が見当たらない三菱電機の「強さ」
日本家電がアジアでヒット、現地化の新潮流
「損保」から世界で伍していく「SOMPO」への挑戦
日本人社員座談会「中国企業で働くということ」