現代でのリーダーの必読書『六韜』
若き日の劉備が皇帝となる夢のために読んだであろう兵法書『六韜』。その一部をここに紹介しておきます。
「柔軟に対応しながら妄動しない。相手に対する敬意を忘れず謙虚に振る舞う。強さをひけらかさず相手の下手に出る。辛抱強く対応しながら、ここぞというとこには断固やり抜く」
「大智は智をひけらかしませんし、大謀はことさら計らわないもの。また、大勇はやたら勇を誇示しませんし、大利は始めから利を念頭におかないもの」
「天下というのは君主一人のものではなく、天下万民のものであります(中略)。ですから天下の人々は、利益を与えてくれる者には道を開き、一人として邪魔をする者はいないのです」
「人民から収奪しない人物が、民心をつかんで支持をかちとることができるのです。同様に、一国をわがものにしようとしない人物が国中の支持をかちとり、天下をわがものにしょうとしない人物が天下の支持をかちとるのです」
(いずれも書籍『全訳武経七書 六韜・三略』より)
これらの『六韜』の記述は、私たちが三国志で知る劉備の人物像と極めて似ています。このことから、劉備は自らの巨大な野望を達成するために、あえて六韜の兵法に従って自らの振舞いを決めていたのではないでしょうか。
『正史三国志蜀書』には、曹操が劉備に出会って言った言葉が残されています。「今、天下に英雄といえば、御身と私だけだな。本初(袁紹)のような連中は、ものの数にも入らぬ」。極貧の母子家庭で育った少年はのちに、中国大陸の北部をほぼ制覇していた曹操にこれほど評価される人物に成長していたのです。
そしてもう1つ、劉備には多くの人を惹き付け、彼らが懸命に劉備を守りたくなる人間的な魅力がありました。それは恐らく『六韜』で身につけた能力なのでしょうが、彼は人に与えることで、人から多くの物を受け取った人物だったのです。貧しく身分や家柄の低い者たちは、その当時でも士大夫から蔑まされた存在でしたが、劉備は同じ場所に座り、彼らと同じ食器で食事をして、礼儀を人によって変えませんでした。
少年期の劉備は、物質的なものは何も持たなかったはずです。だから彼は金銭を配って人の心を捉えたのではなく、貧しく身分の低い青年たちの、自尊心を満たし誇りを与えてやったのではないでしょうか。周囲の欲するものをまず満たすことで、自らが多くの見返りを得る。これは『六韜』の深遠な兵法思想の1つであり、劉備に人を引き寄せ、ついには蜀帝国の皇帝になった秘密だったのです。