日本のビジネスエリートのなかには「漢文は役に立たない」と公言する人がいる。一方、中国のエリートは必ず中国古典の知識をもっている。なぜこれほど違うのか。三国志研究の大家たいかで、今年2月に『『論語』 孔子の言葉はいかにつくられたか』(講談社選書メチエ)を刊行した早稲田大学理事の渡邉義浩氏と、今年に入り『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材』(KADOKAWA)を立て続けに刊行した中国ルポライターの安田峰俊氏との対談をお届けする――。(後編/全2回)
早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さん(左)、中国ルポライターの安田峰俊さん(右)
撮影=中央公論新社写真部
早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さん(左)、中国ルポライターの安田峰俊さん(右)

「文化大革命で文化が全部なくなった」はウソである

【安田】前回は拙著『現代中国の秘密結社』にからめて、中国の庶民の人間関係のキーワード「きょう」(男気、義侠心)を中心にうかがいました。今回は逆にエリートのキーワードである「ぶん」について聞かせてください。

安田峰俊『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)
安田峰俊『現代中国の秘密結社』(中公新書ラクレ)

【渡邉】中国を理解するうえで「文」の知識は欠かせません。すくなくとも、知識層を理解する場合はそうです。古典の知識がないと、ある程度以上の中国の知識人とは話にならないですから。

【安田】通俗的な中国論では「中国は文化大革命で文化が全部なくなった」という意見をよく見るのですが、文革は約半世紀前の10年間の事件。もちろん被害は極めて深刻でしたが、中国の古典文化はたった10年の動乱くらいでは滅びないでしょう。

【渡邉】そうですね。うち(早稲田大学)は中国政府の偉い人が訪日の際に来校したり、中国大使が来たりすることが多い大学なのですが、こういうときに総長はかならず理事の私(渡邉)を陪席させます。中国古典担当というわけですね。そうしないと、たとえ通訳がいたとしても、相手が言いたいことがわからないことがありますから。

【安田】早稲田大は清朝末期から留学生を受け入れていて、中国共産党の初期の指導者の李大釗や陳独秀の母校です。そういう事情からか、実は中国で早稲田大の知名度は慶応大や京都大よりも高い。江沢民や胡錦濤が来日時に講演の場所に選ぶなど、文化外交の舞台としての顔も持っています。当然、中国古典の教養も重要になってくるでしょう。

【渡邉】そういうことです。先方から詩をもらったりしたときに、ちゃんと和さなくてはいけない。すくなくとも、早稲田大ならば中国との交流のなかでそのくらいはやらなくては、メンツが立たないというものです。

偉くなりたい人こそ漢文を学んだほうがいい

【安田】東洋世界における漢文や書道などの「文」の素養は、欧米におけるラテン語や古典ギリシア語と同じく、一定以上の階層の人たちの間では社交の基礎になっています。

早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さん
撮影=中央公論新社写真部
早稲田大学文学学術院教授の渡邉義浩さん

【渡邉】最近、ビジネスエリートのような人たちが「漢文は役に立たないからやめてしまえ」なんて公言する例もあるようです。しかし、こう言っては申し訳ないですが、それでは本人のお里が知れる。中華圏の本物の金持ちや、本物の知識人との接点がないことがバレてしまいます。偉くなりたい人こそ漢文を学ぶべきですよ。

【安田】これは日本と中国の大きな違いですが、中国では「パワー(権力)」と「カネ」と「文」が一カ所に集中します。日本の場合、総理大臣が学識豊かとは限らないし、高い学問的業績を挙げた研究者が豪勢な暮らしを送っているとは限りません。しかし中国の場合、社会階層が上にいけばいくほど、この三つを総取りするというか、すべてを兼ね備えようとする傾向が強まります。

【渡邉】なので、中国の故宮博物院の院長は大学者。もちろん政治的にも重要な人物です。また、かつては台湾で孔子の子孫の孔德成が大臣(考試院院長)をやっていた例もあります。こうした人たちに、日本の政治家や官僚ではなかなか太刀打ちができませんよ。