分かりやすい言葉や感覚から始める

若新雄純(わかしん・ゆうじゅん)
コミュニケーションプロデューサー/慶應義塾大学特任助教
福井県若狭町生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(政策・メディア)修了。専門は産業・組織心理学とコミュニケーション論。全員がニートで取締役の「NEET株式会社」や女子高生がまちづくりを担う「鯖江市役所JK課」など、多様な働き方や組織のあり方を模索・提案する実験的プロジェクトを多数企画・実施中。著書に『創造的脱力』(光文社新書)がある。
若新ワールド
http://wakashin.com/

鯖江市役所JK課にいろいろな女子高生が参加してくれた要因には、最初に「地方創生」や「地域活性化」といった言葉を極力使わないようにしたということもあると思っています。ではJK課を彼女たちにどのように説明したかというと、「女子高生が、鯖江市を使って楽しむプロジェクト」でした。それができれば成功です、と。

メンバーの女子高生からは「何をやってもいいんですか?」と聞かれたので、「楽しくて、違法じゃなければOK」と答えました。どのようなことが彼女たちにとって楽しいことなのか、まちをつかって楽しめる活動につながるのか、僕たち大人たちには分かりません。彼女たちが「楽しい」と感じる感覚に委ねていくことが大切です。

最初は、メンバーたちも「よくわからないけれど、なんか楽しそう」といったノリでプロジェクトを始めたところがあったと思います。その部分だけを見ると、税金をつかった公共事業としては、いいかげんなものに見えるかもしれません。

しかし、楽しくて活動が続いていけば、メンバー同士の仲間意識や協力関係ができたり、活動をサポートしてくれる市役所職員や地元の人たちへの尊敬も生まれたり、そして「このまちが好きだな」とか「このまちに貢献したいな」という想いや理念も芽生えたりしてきます。軽いノリや感覚が、具体的な活動を通じて深い想いや理念に「昇華」されていきました。そして、自分たちのやっていること、やるべきことも少しずつ具体的になっていきます。

これは「地方創生」の現場に限らず、これはあらゆる場面に求められていることではないかと思っています。企業でいえば、「フラットな組織」とか、「人材の多様性」とか、「グローバル展開」とか……。たしかに、もっとらしい言葉に聞こえますが、それをあたりまえに使うようになった途端、それ以上具体的には考えられなくなり、議論に参加しづらくなってしまう。

考えるべきテーマや課題が難しい時代だからこそ、分かりやすい言葉や感覚を大切にする必要があると感じています。そういう意味では、僕も自分の過去の記事などを読み返してみると、ずいぶんと“うさんくさい”言葉を使ってきてしまったなと反省している今日このごろです。

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