では、いったい日本企業の給与は、どのようなルールによって成り立っているのだろうか。まずは、驚きの数字をご覧いただくことにしよう。

年齢・勤続給……10.6%
職務・能力給……36.3%
業績・成果給……5.3%
総合判断……37.1%

これは、厚生労働省が調査した基本給の構成内容である。給与は、基本給と各種手当によって構成されるのが普通だが、その比率は9対1(平成24年・賃金事情等総合調査)。給与の大半は基本給であると言っていい。

そして、基本給の中で最も大きな比重を占めているのが、「職務・能力給」なのである。この「能力給」という言葉に惑わされて、「日本企業にも能力主義が浸透してきたのだ」などと考えたら、大間違いだ。ここで言う「能力」とは、具体的に成果を出すスキルではなく、いわば「その職務を遂行するための地力」のことなのである。

そして「地力」は、経験や知識を蓄積することによって増えていくものであり、また、地力の維持には安定した生活を送ることが必要だから、そのためには十分な生活費の支給も欠かせないと考えられている。つまり、「職務・能力給」は、地力を維持・増大させるために必要な費用の対価なのである。

では、具体的な成果に対して支払われる給与は何かといえば、文字通り「業績・成果給」であり、ご覧のように全体の5.3%を占めるにすぎない。「成果給」は「がんばって働いて成果を出した」人に対するご褒美だが、日本企業の場合、給与全体に占める比重は極めて小さいのだ。

こうした日本企業に特有の給与の成り立ちは、いったいどのような考え方に基づいているかといえば、驚くべきことに、マルクスの『資本論』の中で展開されている「価値と使用価値」という考え方に極めて近い。

マルクスは同書の中で、商品は価値と使用価値の両方を持たなければ売れないと書いている。そして、「価値」とはその商品を作るために投入された労力であり、「使用価値」とはその商品を使う人が受け取るメリットだと規定している。ここでマルクスが使っている「価値」という言葉は、われわれが日常的に使う価値とはかなり異なるのだが、たとえば、木彫りの虎の置物を考えてみるとわかりやすい。

いまここに、中国の山奥から人力で運び出してきた天然木を、10年の歳月をかけて彫り上げた虎の置物があるとしよう。この虎の制作には、膨大な労力が投入されている。その労力を考えれば、100万円以下の値段は考えられない。これが、マルクスの言う木彫りの虎の「価値」だ。つまり価値は、100万円という「相場」を形成することになる。

ところが、この木彫りの虎を市場に持っていっても、買いたがる人は誰もいなかった。なにしろ大きすぎるし、フォルムも古臭い。つまり、この木彫りの虎は、使う人に与えるメリットがほとんどないのだ。マルクス的に言えば、「使用価値」ゼロということになる。