[1]自学自習をしているか

自分の価値=地力を高め、相場を高めるための勉強方法を考えるとき、もっとも重要なキーワードは「自主練」である。自主練とは、時間外に自発的に行うトレーニングのことだ。

自主練の重要性を理解するには、逆説的だが、ぼったくりの構造を知っておくといい。人間がどんなときに「ぼったくられた」と感じるかといえば、たとえば、遊園地の中で缶ジュースを買ったときである。遊園地の外では1本120円の缶ジュースが、遊園地の中に入ったとたん突如150円に値上がりするのは、納得いかないのだ。

これをマルクス的に表現すれば、ぼったくられた人は、使用価値は認めているものの、価値には納得していないということになる。缶ジュースは飲みたいが、この150円の缶ジュースは外界で売っている120円の缶ジュースと同一のものであり、そこに新たな労力が投入されているわけではない。つまり、価値はまったく増加していないにもかかわらず、値段だけが高くなっていることに納得いかないのだ。

このぼったくりの構造を人材に当てはめてみると、「給与に見合った価値を持っていると納得してもらえなければ、継続して高い給料で雇ってはもらえない」ということになる。労働力の「価値」を高めていない人は、高く買ってもらえない。一般的なブームでたまたま高給を得られるかもしれないが、やがて「この人材にそれほど払う必要はないのでは?」と思われてしまう。安定して高い給料を得たいのであれば価値=地力が給料に見合っていると納得してもらえるようにする以外にない。

さて、日本企業が成果よりも、「労力がたくさんかかっていること」に対してより多くの給与を支払っていることは、すでに見た通りである。では、自分により多くの労力をかけるとはどういうことかといえば、それが私の言う「自主練」なのである。

よく、自己投資と称して異業種交流会に参加したり、セミナーや勉強会に出かけていったりする人がいる。自己投資と言うと、いかにも自分に労力をかけているように思えるが、そのほとんどは気晴らしにすぎない。気晴らしで悪ければ、趣味だ。私の経験によれば、異業種交流会の「異業種」とは「よくわからないが、いろんな業界」の別名であり、そこでかき集めてきた名刺が実際のビジネスに繋がる可能性は限りなくゼロに近い。この手の自己投資は、自主練とは呼べない。

自分の価値を高める自主練とは、本業に関する勉強だ。本業に関する専門書やレポートを読み、本業の知識を増やすのに役立つセミナーや勉強会に参加する。そうやって、本業において自分に労力をかけたときにのみ、自分の価値は高くなる。

昨今は、自己啓発本や自分磨き本がブームであり、朝活や交流会の類いも頻繁に開催されている。もしも読者がそうしたものに心を魅かれてしまったら、「これは本業に役立っているのだろうか」と、一度、胸に手を当てて考えてみるといい。

野球選手は自分の価値を高めるために自主練を欠かさないが、自主練で卓球やテニスはやらないのである。