ここで、30代まで国内外で取引先の株式や社債の発行など資本戦略を手がけた経験が、活きた。「銀行員らしくない仕事」と思っていたが、何が、どこで役に立つかは、想像を超えている。どんな仕事が回ってきても、きちんと知識を身につけておく。その大切さを、痛感した。
株主の同意を得やすいのは、買い戻しではなく、親会社のりそなHD株との交換ではないか。交換用の株式は、市場で買い集めれば株価形成に影響を与えてしまうから、それは避ける。思案を重ねていくと、ずっと「公的資金を、どうすれば返済できるか」を考えていた回路と、つながった。
預金保険機構が持つ自社株を買い取り、交換に充てる。これなら、市場価格への影響は抑えられるし、少額ながらも公的資金の返済も始まる。関係部署を総動員し、実現させた。返済の第一歩が踏み出せたことは、大きい。世の中に、「必ず返済する」との意思表示ができた。もちろん、グループ内の空気も一変した。以来、増資や株式分割など資本政策を駆使し、自己資本の充実を進める。
実質国有化が急進したのは、2003年の大型連休前後。当時はHDの本拠があった大阪で仕事をしていたが、連休は東京の自宅で過ごす。休みが明けて大阪へ戻ると、中枢部で「決算ができない」と騒いでいた。聞くと、監査法人から連休前に、見込んでいた税務上の優遇措置を全額認めるのは難しい、と通告されたという。
税務処理が変われば、自己資本比率が下がってしまい、市場などに先行きへの懸念が拡大する。そんな重要なことなのに、経営陣は財務部門に任せ切りで、自分たち企画部には伝わっていなかった。すぐに、率いていた部隊を東京へ移し、監査法人や当局との折衝に入る。部下たちには「慌てるな、落ち着け」と説いた。
証券分野の仕事をしたときに、取引先の命運を左右する資金調達も手がけ、自分も腹をくくって臨んだ。企画部で経営統合を解消した際には、経営陣は相談に応じるだけで答えを書かず、担当部署で粛々と進めた。そんな経験を積んできたから、「経営は、感情に走ったら危ない」と思っていた。