工場はアトランタに増設し、設計図を日本で使っていた図面とは全く変えることを提案する。前例がなかったようで、本社には異論もあったが、アトランタ工場での5年間の経験が生んだ信念だ。
日本では、左右対称のモノの図面は普通、左半分だけを描き、「左右対称」と注意書きをしなくても、つくり手に渡せば、ちゃんと左右が合わさったモノが出てくる。だが、米国の「モノづくり」では、違った。ゴルフカーの車体の部品を発注する際、日本と同じようにしたら、2つに切った片側の形のモノが届いた。
日本流の「阿吽の呼吸」は、通じない。図面に必要な情報をすべて書き込まなければ、想定した寸法や規格と違うモノが届いてしまい、生産計画は大幅にずれ込む。以降、仕事の整理や指示は、すべて紙に書くようにした。「わかりやすく」が、口癖になっていく。
バギー車でも、日本の図面をそのまま持っていくと、大きなロスが生じる。そこで、米中西部ミシガン州のデトロイトに、開発拠点を置いた。デトロイトには開発会社がたくさんあり、人材を確保しやすい。日本から技術者や調達担当者にいってもらい、採用した技術者を2年ほど指導し、育った人材をアトランタへ送り込む。
アトランタでは、もう1つ、貴重な経験をした。工場では生産ラインを直線的につなぎ、溶接や塗装、組み立てなど工程ごとに別の建屋とする例が多い。でも、1つの建屋でやったほうが、他の工程の状況がみえてわかりやすいと考え、設備の配置をU字形に設計した。だが、工程ごとに建屋が違うのが当然と思っていた本社の幹部は、反対した。説得して実現はしたが、その後、何かうまくいかないことがあると、すべて「U字形」のせいにされる。でも、現地のトップは、任せ切ってくれた。
固定観念を捨てる。「わかりやすく」とともに、米国勤務で実践した発想だ。のちに静岡県の工場で、二輪車のフレームで「溶接ゼロ」を達成したのも、フランスで価値観が違う従業員たちのベクトル合わせに成功したのも、この発想からだ。
「特立而獨行」(特立して獨行す)――世の中の風潮や固定観念に左右されず、自らの主張にのっとって行動するとの意味で、中国・南宋時代にまとめられた模範文集『文章軌範』にある言葉。海外進出で、従来の手法にとらわれず、先輩の反対にもぶれずに信念を貫いた柳流は、この教えに通じる。