売上高の約9割は海外。稼ぎ頭は新興国だが、経済が成熟すれば「生活の足」は四輪に変わる。「趣味の二輪」を売り続ける方法とは――。「企業の活路 ヤマハ発動機」。前編「ヤマハの社長がバイクの免許を取った理由」に続き、後編をお届けする。

「ヤマハらしさ」を言葉で表現してみろ

現在、ヤマハ発動機の二輪車のラインアップを見ると、14年頃から順次始まったプラットフォーム・モデルの躍進が目立つ。新興国でベストセラーとなっている各種スクーター、先進国向けのRシリーズやMTシリーズと呼ばれるスポーツモデルなど、それぞれに特徴的な地位を築いた商品が並ぶ。

「いま、我々が商品を増やしているのは、あの時期にフレームと『ブルーコア』と名付けた新エンジンを作り込んだ結果だと考えています」(技術本部長 島本 誠)

リーマン・ショック後の赤字計上をきっかけに、同社は柳の経営方針のもとでモデル数を減らした。そのなかで進められたプラットフォーム化は、車体の骨組みが見え難いスクーターなどの車種でまずは進められた。同時に組織改編を行い、以前は別々だった設計・実験・製造技術の部門と部品の調達などを担うコスト開発部門を統合。デザイン本部という新部署を立ち上げると同時に、個々の商品開発については「PF車両ユニット」という新たな組織を立ち上げた。

「ユニット組織を作った際、私たちはこれまで特に言葉にしてこなかった『ヤマハらしさ』とは何か、我々の提供価値とは何かを、以前の開発部や調達部、デザイン部のメンバーが一緒になって議論したんです」と島本は話す。

その頃、磐田の本社の会議室では、夜になると各部署の社員が集まって議論を交わした。メンバーはエンジンやフレームの開発者、車両のテストを行う実験部の社員、さらにはデザイン本部のスタッフなど約10名。そのなかで、それぞれの思う「ヤマハらしさ」を語り合い、それを言葉として表現しようとしたのである。

ヤンチャだけれど品がある

開発に求められる「ヤマハらしさ」という曖昧な概念を、具体的な言葉としてまとめたのは現在デザイン本部長を務める長屋明浩である。

(左)技術本部長 島本 誠氏(右)デザイン本部長 長屋明浩氏

2014年にヤマハ発動機のデザイン本部に来た長屋は、もともとトヨタ自動車でレクサスのブランディングを担当していた人物。その後、トヨタ車の生産モデルのデザインを統括し、出向先の子会社の代表を務めていた。ヤマハ発動機がデザイン本部を拡充するためにトヨタに人材を求めた際、この長屋に白羽の矢が立った。

「私が外から見ていたヤマハの製品のイメージと言えば、『ヤンチャだけれど品がある』というものでした」と彼は当時を振り返る。

「ただ、実際にこの会社で働き始めてみると、事業や経営をきちんと成立させていこうという流れのなかで、そのイメージがだんだんと普通になってきているのではないか、という思いも抱きました。もっとヤマハのデザインや製品が醸し出すイメージを、しっかりと尖らせていく必要がある、と」