言葉が軽い時代へのアンチテーゼ
昨今、言葉の重みがどうにも軽くなっているようだ。為政者が「知らしめず寄らしめず」のスタンスになりがちなのは世の常だが、人は自分の頭で考えることで成長していく。これは、子育てでも国家の民度を上げるうえでも変わりはあるまい。真の国力アップが、国民の問題意識に裏打ちされてこそ実現するとするなら。
しかし、現状を見るとどうか。政治家が中途半端な皮相的な問題発言をしたあげく、ツィッターが炎上すると大慌て。謝罪会見で発言を撤回し、頭を下げて終わらせる。こうした茶番が繰り返されること自体、彼らが言葉の大事さをまったく理解していないことを示している。小選挙区制導入に伴う議員の質の劣化も指摘されてはいるが、彼らは言霊の意味すら理解していないのではあるまいか。
政治家(statesman)は、言葉で人々に影響を与える。しかし、政治屋(politician)だとすれば、そうした資質を持ち合わせないのも無理はないのかもしれない。そして、ネット社会特有の匿名性ゆえの無責任発言の数々。これもモラルハザードの一因となっているのは間違いないだろう。
語り部は、自分の体も子どもも天からの預かりものだという。これに対して、政治に携わる人々に政治を預かっているという謙虚さが見受けられないのは気のせいだろうか。
話がそれたが、日頃こうした憤りを感じているだけに、本書の言葉の一つ一つが心に染み渡り、味わい深い。殺伐とした出来事が絶えない時代、言葉の重みが軽くなり過ぎている時代に対するアンチテーゼであって、一服の清涼剤になると思った。