「1強他弱」を打ち破る野党結集の成否

【塩田】昔のお仲間が各党に散らばって活動していますが。野党結集の展望は。

【平野】オルグ活動はやってくれていますが、展望があるかと言われても今はなんとも。

【塩田】「1強多弱」の政党状況ですが、これからの動きをどう見ていますか。

【平野】安倍首相が狂乱状況で安保法制を提起したので、有識者や民衆が現代の政治・経済・社会の危機を真剣に考えるようになった。東芝事件などもあり、ここ1~2年で日本社会を根本から改革できる可能性が出てきた。

【塩田】平野さん自身はこれからどういう活動を。

【平野】一種の民衆運動を目指しています。民衆運動は難しいことを言っても駄目で、人間の幸せは何から出てくるのかというのが重要です。私は趣味的に同じ土佐出身のジョン・万次郎や河田小龍、坂本龍馬、それに勝海舟などを勉強した。彼らの心の中にあったのは民衆の福寿です。

【塩田】衆議院事務局時代と政界入り後を通じて、長い政治人生で接触してきた政治家の中で、一番、尊敬する人は誰ですか。

【平野】前尾繁三郎さん(元衆議院議長)が一番。それは理性と公正さです。

【塩田】政治リーダーとしての力量、存在感、実績は今一つという評価もあります。

【平野】ずっと体が悪かった。若いときに肺を切除して、重度の糖尿病で、最後は癌に。

【塩田】1964年に政権の座を降りた池田勇人首相の右腕でした。池田首相は実際には後継の座を佐藤栄作元首相に託しますが、本当は前尾氏にしたかったのでは。

【平野】前尾さんも、心臓病をやった小沢さんみたいなところがありました

【塩田】ここまでの人生で、もっとも達成感を抱いたのはどんな場面でしたか。

【平野】90年、海部政権時代に小沢さんが自民党幹事長として公明党、民社党との間で「国際平和協力に関する合意覚書」を成立させました。いわゆる「PKOの3党合意」です。私は裏方でこの枠組みをつくり上げ、覚書も作成しました。事実上、1955年体制を終結させ、時代を大きく変えた。これが一番の達成感です。

平野貞夫(ひらの・さだお)
元参議院議員・元自由党参議院国会対策委員長
1935年10月、高知県土佐清水市生まれ(現在、79歳)。高知県立清水高校、法政大学法学部法律学科卒、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。60年に衆議院事務局に入り、園田直副議長秘書、前尾繁三郎議長秘書官を務めた後、委員部長を最後に退官。92年の参院選に高知県選挙区から無所属で出馬して初当選し、自民党に入党。以後、当選2回。小沢一郎氏と終始、同じ道を歩き、最側近の「知恵袋」として知られる。小沢氏とともに93年の自民党離党の後、新生党、新進党、自由党、民主党に所属した。政界引退後は、著書刊行、新聞・雑誌への寄稿、テレビ・ラジオ出演など、言論活動で活躍中。著書は『消費税制度成立の沿革』『小沢一郎との二十年―「政界再編」舞台裏』『昭和天皇の「極秘指令」』『公明党・創価学会と日本』『平成政治20年史』など多数。
(尾崎三朗=撮影)
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