私たちは、資本主義の社会に生きている。大前提になるのは、資本が、新たな価値の創造のための基盤になるという事実である。
資本の大切さは、個人の生涯も同じこと。お金はもちろん、知識やスキル、人脈もまた、一人ひとりにとっての「資本」になる。
日々真面目に働くということももちろん大切だが、それは、ともすれば時間の切り売りになる。より力強い成長軌道に乗るためには、個人としての「資本」の蓄積が必要である。
働いて賃金を得ることを「フロー」だとすれば、「ストック」も拡充しなければならない。たとえば、外国語や、プログラム能力、システム思考といった知やスキルの「ストック」を拡充することが、中長期的なリターンを増やすことにつながるだろう。
知識やスキル、人脈といった個人レベルでの「資本」には、それに伴う収益がある。どんなに熱心に働いても、将来のための「資本」が蓄積しないようでは、虚しい。
もともと、『21世紀の資本』の原題は、カール・マルクスの『資本論』を意識したとも言われている。このため、本書も、『21世紀の資本論』という邦題でもよかった、という声も聞こえる。
労働と資本の関係という、資本主義社会における古くて新しい、永遠の課題。働くということは、時間を切り売りしてお金をもらうということだけではないはずだ。
働くことで有形無形の「資本」を蓄積する必要性。それこそが、ピケティ氏の「r>g」から受け止めるべき、最大のメッセージだろう。