優れた行動規範を有害化させないために

ゾンビ企業が変われないのは、「これらの企業がたいてい、おめでたいゾンビだからだ」と、フィンケルスタインは述べている。「これらの企業は不愉快な情報をシャットアウトするのが実にうまいので、ゾンビになっていることに気づかない」。問題は、その企業の価値観と確固たる自信にある。そのために、間違った現実認識や今後の変化についての間違った思い込みが、問い直されることもなくまかり通っているのだ。

企業の卓越性のビジョンが1人歩きを始めると、その会社は、「ビジネス上、理にかなった活動だからではなく、そのビジョンを実現する活動だからという理由」で物事を行うようになる、とフィンケルスタインは言う。組織のビジョンに対するこの揺るぎない信仰「議論の余地のないもの」からくる硬直した姿勢が、市場のトレンドについていくにはどのような変革が必要か、という議論を抑えつける。

自社の卓越性のビジョンを変える必要性を示唆するサインを、敏感にキャッチできる会社にしたいと思うなら、主要幹部のそれぞれに、少数の個人顧客とのカスタマー・リレーションについて責任を負わせることだ。顧客のニーズや好みを重要な意思決定プロセスに組み込むことができれば、それは会社が「新製品を出すこと自体を目的に」新製品を出すのを防ぐ力になると、フィンケルスタインは語る。

よかれと思った行動規範がゾンビ症候群につながるおそれのあるもう1つの例は、完璧さの追求である。無差別に完璧さを追求する企業は、「基準そのものが妥当か否かは一切考えずに、あらゆる活動でひたすら高い基準を」めざすと、フィンケルスタインは言う。

完璧さを追求しすぎると、マネジャーが、革新的な仕事はルーティーンの仕事より概して失敗率が高いことを忘れてしまい、新しい可能性を探るための失敗に罰を与えることになりがちだ。これでは、企業が競争力を維持するために欠かせないイノベーションが抑制されてしまう。

過度な完璧主義の弊害から会社を守るためにはどうすればよいのだろう。フィンケルスタインはいくつかの提言を打ち出している。その第1は、古い目標が達成されたら、バーを引き上げるのではなく目標を変更する、というものだ。これによって、「しだいに妥当性を失ってきている基準」に固執するのを防ぐことができる。この弊害を防ぐという意味では、とくにルーティーンの活動や本社が一括して行っているサポート・サービスについて、外部の基準を使って評価することも有効な方法だ。2つ目の提言は、「金銭的リターンの観点からは不成功だが、ナレッジ的リターンの観点からは大成功といえる実験に報いる」ために、「今月の失敗」賞を設けるというものだ。

(翻訳=ディプロマット)