いまや介護予防へ、施設の「中退」導く

道ができて、伸びていけば、社会のニーズ、あるいは先々のニーズに沿った事業が、切り拓かれていく。

「充電」が進んだ40代後半は、スポーツやレジャーから「健康」へと舵を切っていく。99年に入会した経済同友会でも、サービス産業活性化の提言をまとめる委員会の委員長を務め、「健康」を成長分野に掲げた。2007年には、スポーツ健康産業団体連合会の会長にもなる。09年には、厚労省の健やか生活習慣国民運動実行委員長(現・スマートライフプロジェクト実行委員長)に就き、いまや安倍政権が掲げる成長戦略の「健康寿命の延伸」を支える立場。昨年暮れには、内閣府がつくった次世代ヘルスケア産業協議会の発起人にも、選ばれた。

こうして財界人の1人になっていくなかで、実は、見失いかけたものがある。03年暮れに株式をジャスダック市場に公開し、東証二部を経て06年3月、東証一部へ指定替えとなった。すると、先をいく優良企業にならって「増収増益を続ける」「売上高経常利益率を10%にしたい」などと、口にするようになる。

人間が持つ弱さが出た、と思う。

投資家や市場に対し、会社のことを紹介してくれる証券会社や投資顧問会社に、いい恰好をしたくなっていた。そうなると、のびのびとやってきた社員たちも、社長の顔をみて、無理にでも「10%」を達成しようとする。知らず識らず、利益を確保するために、設備や指導者教育への投資が不十分になっていた。

07年ごろから、利益が減り出した。初めは、なぜなのか、わからない。やがて、「利益とは、結果として出てくるものなのに、目標にしてはいけない」と気づく。再び斎藤流へ戻り、「下自成蹊」が甦る。2012年、社内のアイデアを結集し、神奈川県のJR大船駅から歩いて10分のところで、リハビリに特化したデイサービスを始めた。地方自治体の介護予防事業も、受託する。

全国で、100カ所の大展開を目指すが、そのための資格を持つ人が足りず、いま7カ所。1人が、2つの施設をかけもちしている。1カ所に登録できる定員は約100人。週に1度か2度訪れて、午前と午後に25人ずつ、リハビリの指導を受ける。6月には、自宅で指導する訪問式の拠点も、同県鎌倉市に開く。

介護保険が適用されるが、介護を受けるようになると、「卒業は死ぬとき」というのではおかしい、と思う。元気になって介護施設から「中退」し、健常者に近い生活に戻るのでなければ、いけない。すでに「中退」し、スポーツクラブに入った例も出た。次は、拠点をスポーツ施設の隣につくってもいく。

大学との共同で開発した脳の活性化プログラムにも、力を入れる。例えば、ハンカチの受け取りなど簡単な動作をしてもらい、だんだん難しいことへ移っていく。すると、どこかで間違える。でも、参加者に、計算を間違えたときのような屈辱感はなく、自然に笑いが出る。笑うと、脳の神経細胞の接続部がつながり、活性化する。これは、女性の執行役員の担当だ。「自らできた蹊」が、また、伸びていく。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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