「お客の立場になって、楽しいか、気持ちがいいか、考える」「サービス業の本質はホスピタリティー(もてなし)にある」など、いまなら当然と思うことも、四半世紀前には「目から鱗」。ルネサンスに、不可欠なものだった。
実践の大切さも、学ぶ。先輩は、どこへいっても、小さなゴミでも拾う。地方都市での講演についていくと、ホテルのオーナーばかりか、支配人から料理長やスタッフまで、みんなが彼を知っていて、打ち解けていた。どこでも同じだ。業界の人的な流動性が高く、知り合う機会が多いにしても、驚いた。「ホテルで働く人のレベルを上げたい。それが、日本中のホテルの評価を高める」。そんな思いも、伝わってくる。
もう一つ、すごく感化されたことがある。後輩たちにも常に同じ目線で、敬意をもって接していた点だ。そこから、ルネサンスで「部下を、呼び捨てにしない」「取引先を、業者と呼ばない」ということを、徹底させることになる。
スポーツ施設の運営が本業で、どうしても体育会的な言動になりがちだ。実際、体育会出身の社員や指導者が、男女とも多い。自分は技術者の出身。大学でも会社でも、技術者の世界は割と相手を尊重する文化。抵抗なく「さん付け」ができたが、できない面々もいる。厳しく怒ったから、男性たちは「うるさいな」と思っていたようだが、まだ少数だった女性たちは「仕事がやりやすい」と歓迎してくれた。
「業者」という表現は、公共放送でも使われており、悪い意味ではない。気にしない人もいるが、「上から目線」を感じて不快な人もいる。それならやめて、「取引先」と言えばいい。「お取引先」と、「お」までは付けなくていい。「会員さま」も「会員さん」でいい。要は、もてなす気持ちが表れて、相手に伝わることが大事。これも、社員たちは、ついてきてくれた。
「桃李不言 下自成蹊」(桃李言(ものい)わず、下自(おのずか)ら蹊(こみち)を成す)―― 桃や李は花や実があるから、何も言わなくても人が集まってきて、下には自然に道ができる、との意味だ。中国・前漢の歴史家・司馬遷の撰による『史記』にある言葉で、徳のある人には黙っていても人がついてくる、と説く。黙って部下たちを楽しませながら、率先して新たな発想を蓄えていく斎藤流は、この教えに重なる。