親が答えを持っていても、教えなくてよい
親にとって大切なことは、最短距離を進まない子供を「待てる」ことでしょう。親が待てる人なら、自然に子供も待てるようになる。わかることを焦らない、急がないようになります。問題演習で「自分で考えるから、答えを教えるのは明日にして」という生徒は成績がよく伸びます。
もうひとつは、親バカになるべきです。行き過ぎるといけませんが、親の期待があるから、子供は知的好奇心を増幅させ、集中力をつけ、何かを成し遂げようとします。もし、親がわが子を褒めないとしたら、いったい誰がその役割を果たしてくれるでしょうか。子供にとってみたら、世界で一番褒めてくれる人がいなくなってしまいます。
あとは、志望大学や将来の職業について、誘導しないことです。近年は、医学部志向が強くなっています。とくに、地方の名門公立校ほどその傾向が強い。将来性があり、ある程度安定した収入が得られ、しかも地元に留まってくれるという点で、保護者から見れば、医師は理想的な職業なのでしょう。気持ちはわかります。ですが、可能性は開いた状態でいたほうがいい。それに子供たちはどこの大学に行きたいか、どの学部に行きたいかという形を通して自分の人生を具体化していくしかありません。手探りのなかで、ようやく彼らの価値観が姿を現します。世間的な物差しで大学や就職を決めてしまうのはもったいないことです。
わざわざ遠くの大学を選ぶ子がいます。親と距離を置いてやってみたいといった、本人でさえよくわかっていないような事柄を、志望大学の選択と結びつけて親に出してくる。親にすれば理由が見当たらない決断こそ、正しい成長過程なのだと思います。
1955年、群馬県生まれ。駿台予備学校英語科専任講師。東京大学文学部哲学科卒業、東京大学大学院博士課程(比較文学比較文化)満期退学。1984年から現在まで駿台の教壇に立つ。大学で哲学、倫理学、文明論などの非常勤講師も兼務した。