「公平性批判」に負けず面接を続けられるか
なるほど、東大側の覚悟のほどはわかりました。真剣に、新しいタイプの学生を求め彼らを育てていこうという気持ちを固めているようです。いいことだと思います。ただ、それがすんなり実現するかというと、かなり厳しい障害があるように感じます。
まず、選抜方法の問題です。このAO入試は、書類審査や面接だけでなくセンター試験の受験を要件としています。文系は5教科または6教科で8科目、理系は5教科7科目を受験した上に「概ね8割以上の得点」を要求されるのです。これでは、「入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強」にも目を向けなければならなくなる場合があるでしょう。
また、合格発表がセンター試験後の2月になるために、不合格の可能性を考えて他大学を滑り止め受験しなければならない受験生も少なくないと思われます。これでは、AO入試の長所である早期に入学が決まることのメリットがありません。一般的なAO入試は秋の段階で合格発表があり、そこから卒業までの期間は「自らの興味・関心を生かして幅広く学」ぶために活用できます。SFCなど多くの大学が合格者に課す入学前学習課題は、4月からすぐに大学での学びを活発に展開できるようにする狙いがありますが、2月ではその効果もほとんど出せません。
出願が高校の校長の推薦を条件とし、各学校男女1名ずつ(男子校、女子高は1名だけ)に限っているのも感心しません。才能ある生徒が多数いる学校の場合や、校長が生徒の真の力に気づかない場合には、本来受験すべき者が機会を奪われる可能性があります。受験者を絞るのは、夥しい数が押しかけて試験事務を厖大なものにしてしまうのを恐れての措置でしょうが、ここは他大学同様、個人の意思で受験できるようにすべきです。
入試制度の運用も心配です。AO入試が始まると、必ずや、面接の公平性についての批判が出てくるでしょう。点数化されたペーパーテストでなく面接による主観判定で合否を決めるわけで、不合格者の不満もあるでしょう。それはどこの大学のAO入試でも同じなのですが、東大となると格別です。
実際、京大などほとんどの大学医学部入試に課されている面接が、東大にはありません。ちょうどわたしが文部省(当時)医学教育課長をしていた90年代半ば、コミュニケーション能力や医師になる使命感が著しく欠ける学生が多発したために、学力に加え面接でそれらの点を観るという考え方が広まり、東大でも一旦は導入されました。しかし、結局公平性批判に押されて廃止されてしまった歴史があります。
99年の中央教育審議会答申では「『公平』の概念の多元化」が強調され、「いわゆる1点差刻みの客観的公平のみに固執することは問題である」として選抜方法の多様化、評価尺度の多元化の意義を社会全体が認めてほしいと訴えています。審議会担当課長としてその基となる議論をつぶさに聞いていたわたしの印象では、入試において「公正」は絶対的条件だが「公平」については過度にこだわる必要はないとの趣旨でした。でも、それが東大ということになると簡単ではなさそうです。