水戸っぽの意地を見せてやりたい
石井さんは177センチ、85キロの偉丈夫であり、スポーツクラブで体力づくりを実践している。また「歩く会」の経験から、遠距離を歩くことにも抵抗がなかった。災害時に自転車が有効であることを知っていたのも強みである。そうした好条件が重なり、35キロを大過なく移動できたことを忘れるべきではない。
そのうえで、石井さんは今回の反省点をこう話す。
「道がわかりやすいので都内では国道246号を移動しましたが、頭上を首都高速の高架が通っているので、大震災のときには危険きわまりないと後になって思い至りました。蕎麦屋さんをはじめ商店が開いていたことにも助けられました。また、世田谷区内の学校が休憩所を提供しているようでしたし、『田園都市線復旧しました。用賀駅こちら』と書いた紙を手に持って案内しているボランティアの方もいらっしゃいました。そういう方々の温かいサポートを受けて大量の『帰宅難民』が無事家族の元へたどり着いたのだと思います。ですからドンキの店員さんや見守ってくれた亡き妻を含め、皆さんに感謝したいですね」
東北地方の辛すぎる状況とは比べるべくもないが、石井さんの地元茨城県も震度6強の烈震に見舞われ、ライフラインの途絶など厳しい日々が続いている。
「地元を離れているのが申し訳ない。ここは“水戸っぽ”の意地を見せてやりたいですよ。同郷の仲間や被災された皆さんと一緒に、できることから頑張っていきたいと思います」
高校時代は弊衣破帽の応援団長として野球場に野太い声を響かせていた。その声で傷ついた故郷、そして祖国にエールを送る。まずは高校の東京同窓会を通じて、郷里へ送る募金の呼びかけなどに動いている。