「人間、どんなことでも一生懸命やっていれば、必ず運が味方してくれる」

これは小笹会長の若いときからの哲学でもある。

もうひとつ、私の知人から聞いた話を紹介しよう。この知人は、30歳を目前に、直属の上司に嫌われ、傍流ともいえる部署に飛ばされた。このとき、周囲の人たちは彼が会社を辞めるだろうと思ったようだ。

異動先の部署には若い契約社員がいるだけで、一人前の戦力とはいえなかった。そのうえ、新しい上司は体調不良を理由に会社を休んでばかりいた。

それでも、必死に仕事に取り組んだ。本来は3人でやるはずの仕事を、彼ひとりで終わらせた月もあった。いま振り返っても、修羅場の連続だったという。

ところが、修羅場の数々を越えたおかげで、仕事の能力が磨かれた。それまでとは違うスキルも次々と身についた。思いもかけない分野で、新しい人脈もできた。

4年がたち、元の部署に戻る機会が訪れた。そこで、何が起きたかというと、異動先で培ったスキルと人脈が、おおいに生きたのだ。それにより、思いがけない評価も得ることができたという。

この話を聞いたとき、私にとって印象に残ったのは、知人が逆境ともいえる体験を振り返って、自分は運がよかったと言ったことだ。

だが、私は運というものの正体は、実はこういうところにあるのだと思った。

目の前の仕事を必死でやっている人たちだけが、運というものを手に入れることができる。つまり、運がよかったという言葉は、修羅場を必死にくぐり抜けた人が、その体験を振り返ってはじめて、口にできる言葉なのだ。

また、こうとも言える。いっけん、逆境にいると思えるときでも、そこでの出会いや事柄を大事にしていくと、それが自分の財産になる。そのときの体験があとになって生き、それによって今いる場所から、さらに引き上げられる。

自分のことを運がいいという言葉で表現できる人は、そのようにして引き上げられる体験をした人なのではないか。そして、1度その体験をした人は、次にもまた同じように引き上げられることを、意識のどこかで知っているのではないか。

だからこそ、運という目に見えないものを信じることができる。

「一生懸命やっていれば、運が味方してくれる」という哲学をもつことができるのだ。

【年収1億を生む黄金則】修羅場や逆境を乗り越えることで、やがては運が味方になると悟る。

(※『プロフェッショナル ミリオネア』(プレジデント社刊)第6章「運をつかむ、分かち合う」より)

関連記事
不運な目に遭っても、「すべて自分のせい」と思えるか
逆境にあっても、不快を「快」に変えられるか
運が悪い人は、なぜ運が悪いのか?
偶然の幸運は、楽観的な人に訪れる
自分は「人」に恵まれ、導かれていると言えるか