山内は97年から3年半、ニューヨークに駐在している。留学の経験はなく、語学学校に通ったこともない。赴任当初は電話に出るのが苦痛で、留守番電話にしていたこともあった。だが密かに努力を重ねたのだろう。98年入社の小林龍興は、現地スタッフに送った英文メールを、駐在2年目の山内にきつく注意されたことを憶えている。

「山内さんに『英語も拙いし、おまえのイライラをぶつけるのはフェアじゃない。気をつけろ』と指摘されました。驕りがあったと、深く反省しました」

山内の「秘密主義」は気遣いの結果かもしれない。押しつけがましい努力は、周囲を白けさせるが、直向(ひたむ)きに成果をあげれば、自然と周囲には人が集まる。

愛用のスマートフォンとレポートパッド。ノート類はあまり使わない。

今回の投資は、実は11年12月に契約寸前まで進んでいた。ところが、欧州危機の影響が懸念され、役員レベルで「待った」がかかった。浅田は言う。

「あの時点での『待ち』は、ほとんどご破算を意味します。再開しようとしても他社に話をしているかもしれないし、価格が変わるかもしれないからです」

山内も「どうしようかと思った」と振り返る。しかし、年が明けると、「さあ、もう1回いくぞ」と周囲を鼓舞した。「これこそが山内イズム」と同僚たちは口を揃える。

山内が5年前に描いた絵空事には「世界一のパルプトレーダーになる、取扱量は400万トン」と書かれていた。その時点では誰もが無理だと思っていた。その「絵」はいま本物になりつつある。それはスケールは壮大でも、細部まで緻密に計算されたものだったからだろう。次に山内は何を描くのか。勢いある緻密な筆捌きに注目が集まる。

●山内さんの学びセオリー3カ条

(1)努力する過程は人に見せない
(2)周囲を巻き込みながら成長していく
(3)「型破り」は緻密な分析の結果として

(文中敬称略)

伊藤忠商事 住生活・情報カンパニー 紙パルプ部
山内 務

1989年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業、伊藤忠商事入社。入社以来一貫して紙パルプ畑を歩む。97年から2000年までニューヨーク駐在。10年より現職。
(門間新弥=撮影)
関連記事
ある詐欺師から学んだ大事なこと:伊藤忠商事社長
「急がば回れの対話道」で10億人マーケット攻略へ -味の素
「急がば回れの対話道」で10億人マーケット攻略へ -味の素
【住友商事】リストラ部下を再雇用、夢のシェールガス開拓に挑む
絶好調チームが実践! 笑いのマネジメント【1】グーグル