将軍継嗣レースのウラで

初代当主となる宗尹に小姓として仕えたのを皮切りに、一橋家では側用人そして家老まで務め上げた意誠だが、その身分は幕臣だった。

田安家、一橋家そして家治の弟重好しげよしを当主として創設された清水徳川家の御三卿の場合、その家臣は幕府から出向してくる幕臣が家老をはじめ上級役職を占めた。

当主は十万石の大名であったものの、城を持たず、江戸城内に与えられた屋敷で生活した。同じ徳川一門でも独立性の強かった御三家とは対照的に、幕府からは将軍の家族のような処遇を受けた。