毀形唄って、恐ろしい意味です。「形を毀(こわ)す」ということでしょう。これまでの人間としての形を毀す。女である形を毀す。意味を知ってみれば怖いことですが、あのときは、「ああ、これで変われるんだ」という覚悟のようなものが訪れて、心がとても落ち着きました。

もうひとつ、よく覚えていることがあります。頭が軽くなり、涼しくなったので、私は自分の顔を見たいと思ったのです。そこで、頭を剃ってくださった女性に、「鏡を見せてください」と言いました。すると、夜店で売っているような、裏にブリキを貼った安物の鏡を、「はい」と手渡してくれました。

鏡の中には、マンガの一休さんみたいな可愛いらしい小坊主の顔があります。

「ああ、これが自分か」と思ったら、ストンと何かがわかった気がしました。私は不良になり切れなかったから、出家をしたのかもしれません。

苦に耐え抜いたとき、心の平安が与えられる

年の数だけ引っ越しをしてきたという寂聴さんが住む京都・嵯峨野にある寂庵。庭には、こだわりの木々や花が植えられている。寂庵では写経の会や法話の会が開かれる。HP(http://www.jakuan.com/

心を病む人が多い時代です。当たり前です。こんなに薄情な世の中なのですから。でも、こんな世の中でも、お釈迦さまの教えを知ることで、心の中から不安を取り去ることはできます。

仏教の1番根底にある考え方は、生々流転です。古代ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスはpanta-rhei (万物は流転する)と言いました。世の中は移り変わるものであるという考え方は、仏教だけでなく、広く世界中にあります。

「世の中は泡沫の如しと観よ。世の中は陽炎の如しと観よ」(ダンマパダ=法句経)

お釈迦さまは、この世の一切のものは虚妄であると断じておられます。11年3月11日の東日本大震災、それに伴う福島第一原発の事故を、いったい誰が予測できたでしょうか。誰もが予期していなかったことが、現実になった。これがまさに、この世の姿なのです。