※本稿は、井上響(著)秋山聰(監修)『美術館が面白くなる大人の教養 「なんかよかった」で終わらない 絵画の観方』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
知らない絵を観たときに「どこ」を観る
率直に、この絵(図版1)を観てあなたは何を思いますか? 気構えずに、何も知らずにこの絵を展覧会で観たと想像してください。そして10秒で良いので鑑賞してみてください。

鑑賞してみましたか? では続きを読んでみてください。
きっとあなたは、まずモジャモジャの髭を生やした老人を見たのではないでしょうか。そして半裸の青年を見て、最後に天使の方を確認したのではないでしょうか(もしかしたら天使の後に青年かもしれません)。もう少し興味を持ったあなたは天使が老人の手を掴んでいること、ナイフが落ちていることや、背景が山であることに気がついたかもしれません。こんなところでしょうか。
さてこの絵を知らないあなたは疑問に思ったはずです、この絵は何なのだろうかと。だけれども、そこで鑑賞をやめてしまったのではないでしょうか。「ふーんこういう絵があるんだ」と思ってしばらく観たら満足し、殺人犯がなぜか天使に止められている絵を観た。そんな感想で終わったのではないでしょうか。
父アブラハムが息子イサクを神に捧げようとしていた
しかし知識を身につけ、鑑賞してみたらどうなるでしょうか。
もし仮にこの絵の背景のストーリーを知り、それを元にこの絵を鑑賞すればその感想はきっと大きく変わります。まずはこの絵に何が描かれているのか知ってみましょう。この作品は聖書の一場面を描いたものであり、そのあらすじは次の通りです。
「あるところにアブラハムという男がいた。ある時アブラハムの信仰する神は、アブラハムの信仰心を試すことにした。アブラハムには愛する息子イサクがいたのだが、その息子を自分に捧げるようにとアブラハムに命じたのだ。アブラハムは信仰深い男だった。だからその指示に彼は従った。ある日、彼は息子を連れて山に登った。そして息子を縛り付け、その喉元を搔き切ろうとした。すべては神に捧げるために」
なんと酷いストーリーなのでしょうか……。
しかし物語には続きがあります。