恐怖心を取り去るにはどうすればいいか。禅僧の枡野俊明さんは「現代人は万能感の高さがプレッシャーとなり、恐怖心を強くしてしまう。やるだけのことをやったなら、あとはもう天にお任せ、仏さまにお任せすればいい」という――。

※本稿は、枡野俊明『「し過ぎない」練習』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。

晴れた日に落ち葉をかき集める人
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「こうあるべきだ」に憑りつかれてはいけない

頑張り過ぎる人の多くは、完璧主義者のようです。

中途半端では納得がいかず、完璧にしなければ前に進めない。そのため、頑張り過ぎてしまいます。

仕事、学業、家事、趣味……何であれ、完璧を目指すのはよいことです。しかし、そのすべてにおいて完璧にできる人はいないでしょう。何か一つでも完璧にこなせるならば、その才能はもちろん、努力や集中力が備わっている人といえます。

人は環境などの影響を受けて感情や体調に左右されやすく、どれほど才能に恵まれていても、どんなに努力しても、常に完璧な結果を出すことは難しいものです。

ですから、完璧に近づこうとする姿勢はよいのですが、完璧にできなければ自分が許せなくなるようでは本末転倒です。

こんな例はいかがでしょう。

お客さまが来訪されるので門前の落ち葉を掃きました。きれいになって、自分も清々しい気持ちになりますね。お客さまもきっと清々しい気持ちになるでしょう。

ところが来訪直前、フワッと風が吹き、また落ち葉が舞い落ちてしまいました。

あなたなら、落ち葉をもう一度掃きますか?

「せっかくきれいに掃き清めたのに」と、掃かなければ居ても立ってもいられない気持ちになる人は完璧主義者といえるでしょう。そうして箒を持ったまま、お客さまを迎えたならば、お客さまは早く来過ぎたかと気まずい思いをされるかもしれません。

いっぽう、お客さまを迎えるためにやることはやったのだからと、自分を許すことができる心に余裕のある人は、来訪されたお客さまにお茶を出しながら「たった今、ひと風吹いてしまいましたが、落ち葉も素敵ですね」と笑顔で言えるはずです。

どちらも、きれいに掃き清められた場所にお客さまを迎えたいという気持ちは変わりません。ここで大切なのは、お客さまを気持ちよくお迎えするためには、今、どうしたらよいかということです。