「今後、偉大なお三方の背中を追いかけ」

松井さんは「努力の天才」だった。小学校3年生の頃から、机の前にはこんなコトバが張られていた。〈努力できることが才能である〉。実際、努力を惜しまなかった。中学、高校時代、寝る前の素振りはまず、休んだことがないという。

親の育て方か生来の性格か、冷静さを失うことはほとんど、ない。1992年8月、夏の甲子園大会の明徳義塾(高知)戦で「5打席連続敬遠」をされた時も淡々と一塁に走っていった。オトコが惚れるオトコである。

同年11月のドラフト会議、巨人監督に復帰した長嶋さんから「あたりくじ」を引かれた。巨人で10年間、大リーグで10年間、プレーした。2009年ワールドシリーズでは3本塁打8打点を記録し、日本人初のMVPに輝いた。ヤンキースのあと、エンゼルス、アスレチックス、レイズと渡り歩いた。

松井さんのスピーチは堂々として、素直な人間性に満ちていた。国民栄誉賞のスピーチではこう、言った。

「わたしはこの賞をいただき、大変、大変、光栄でありますが、同じくらいの気持ちで恐縮をしております。わたしは王さんのようにホームランで、衣笠さんのように連続試合出場で、何か世界記録をつくれたわけではありません。長嶋監督の現役時代のように、日本中のファンの方々を熱狂させるほどのプレーができたわけではありません」

松井らしい謙虚なコトバだった。努力の天才はこう、続ける。

「今後、偉大なお三方(王貞治さん、衣笠祥雄さん、長嶋さん)の背中を追いかけ、日本の野球の、そして野球を愛する国民のみなさんの力に少しでもなれるよう努力をしていきたいと思います」

38歳。松井さんは指導者の道を歩む。いずれ巨人かどこかの球団の監督を務めることになるだろう。ひょっとして、大リーグ球団の監督となるかもしれない。

(共同通信社=写真提供)
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