「文句があるなら、食べなくてもいい」

では、家は安心できる場所だったかと言えば、わかなさん自身を損なうという意味で、危険な場所となっていた。

「両親は福島にいるよりは大丈夫だと、普通に生活するようになりました。母は私からしたら、『ないだろう』っていう、地域の食品をよく買ってくるようになりました。茨城県産のレタス、群馬県産のナスなど、当時はまだ放射能汚染があった地域の野菜や、汚染水が流れている海を泳いでいる魚とか」

せっかく避難したのだから、食べるものにも気をつけてほしいと懇願しても、母親は「文句があるなら、食べなくてもいい」の一点張り。

「おそらく、意識が向く方向性が私と母では違っていたのだと思います。母からすると、『もう、普通に暮らしていくしかないのよ』という意識だったんだと思います」

原発事故への不安な気持ちや怒りを、家族と共有したくてニュースを見て呟けば、「お前は黙っていろ」「子どものくせに」と遮られる。そんな両親の様子に、弟もまた、姉を攻撃する。

「弟の方がある意味残酷ですよ、子どもだから。親よりも容赦ない。『姉ちゃん、うるせえ』、『いつまでも、そんなこと言ってんじゃねえ』って、食卓で言ってくる。だから、何も言わないように私はする。本音を言えない。家族には」

精神的にも身体的にも非常に調子が悪いのに、親からは「怠けているんじゃないの?」の一言。

原因不明の体調不良に加えて、学校でも家でも孤立し、生きる希望も見つからない。自室で泣いているとき、母親が突然入ってきて、こう言った。

「まだ泣いているの! いい加減にしなさい! 避難するって、あなた、あのとき言ったじゃない!」

避難させてあげた、選ばせてあげたんだという強いメッセージは、わかなさんを打ちのめす。「だから、文句を言うな」と言わんばかりに。