名もなき役をこなす俳優と、料理好きの主婦
2人が出会ったのは2014年、裕士さんが29歳、咲子さんが28歳の時だった。
その頃の裕士さんは21歳から東京で俳優になり、名もなき役が多いものの、映画『クローズZERO II』やテレビドラマ『JIN―仁―』など、さまざまなヒット作の現場で演技力を磨いた。一方、転勤族の両親のもとで育った咲子さんは立教大学の法学部を卒業後、銀行に就職。その後、ウェディングプランナーとして働いていた。
咲子さんは、会社の同僚に紹介された裕士さんにすぐに惹かれた。彼の出演作を視聴し、「舞台の稽古がある」と聞くと手作り弁当を渡しに行った。それがきっかけで裕士さんも彼女を意識し始める。
「僕、もともとお弁当が嫌いだったんです。学生の頃、母親に『冷めた弁当なんて食えるかぁ!』って、食堂代をもらっていたくらい(笑)。でも、彼女の弁当を食べたら、すごく美味しくてびっくりしたんです。それが僕にとっての“はじまり”でした」
2人が交際をスタートさせた頃、咲子さんは裕士さんに飲食店を開く夢を語った。
咲子さんは子どもの頃から料理やお菓子を作ることが好きだった。母に教わりながら台所に立ち、家族の誕生日には毎年ケーキを焼いた。「チョコレートケーキが有名な『トップス』がすごく好きで、よく真似して作ってました」と咲子さんは言う。
「いつか自分の店を開きたい」
だが、子どもの頃には「将来、料理人になろう」とは思わなかったそうだ。
「料理で生計を立てる発想がまったくなかったんです。勉強熱心な家庭で育った影響もあって、いい大学を出て、いいとこに就職して……みたいな。そういう道しか頭になかったんだと思います」
あくまでも料理は趣味と割り切っていた彼女だが、大学生時代に夢中で働いたスターバックスコーヒーでの経験が忘れられなかった。
「いつか自分のお店を持って、料理やお菓子を出せたら最高だな」
咲子さんは次第にそう考えるようになっていた。
裕士さんも、学生時代に中華料理店でアルバイトをした経験から「いつか飲食店を経営したい」と思っていた。2人は、一緒にお店をひらく未来を思い描くようになっていく。
生活費がままならなかった夫・裕士の“俳優時代”
その後、咲子さんは少しでも夢に近づくため、ダイニングバーに転職。店長として調理と接客のノウハウを学んだ。これが彼女にとって、初めて自分の作ったものを売るスタートラインとなる。
この店でとくに評判だったのが、咲子さんが作るタルトやケーキ。プロ顔負けの味を求めて、足繁く通う常連客が多かったという。
一方、裕士さんの生活は、順調とは言えなかった。芸能界に飛び込んで10年が経ったが、母親から毎月8万円の仕送りを送ってもらい、なんとか生活ができている状態だった。