中国国旗が掲げられた日本の学校

――先ほど、中国人留学生の影響力が増していく大学の様子がありましたが、同様の問題は日本以外でも起きているのでしょうか。

中国系アメリカ人で、カリフォルニア大学で教鞭を執る友人がいます。彼は、中国人留学生たちに「先生も中国人なんだから、中国語で授業をしてくれ」と要求されたそうです。「ここはアメリカの大学で、あなたたちは英語を学びにきたのでしょう?」と問うと「先生も生徒も中国人なんだからいいじゃないか」と。それはできないと断ったそうですが、他人事ではありません。

――今後の日中関係はどうなるのでしょうか。

数年前に、9割が中国人留学生という宮崎県の私立高校のニュースを見ました。校庭に中国国旗が掲げられ、入学式では中国国歌が斉唱されていました。

中国の国旗
写真=iStock.com/bushton3
※写真はイメージです

私には、ニュースに映る肩身が狭そうな日本人学生の姿が印象に残りました。少子化のなかでの生き残り策としての留学生を受け入れだったのでしょうが、萎縮する日本人学生の姿が子どもの頃の私に重なったのです。

私が生まれた1964年の2年後に文化大革命がはじまり、南モンゴルの草原が中国人移民に占拠され、モンゴル人も弾圧の対象になりました。当時、南モンゴルに暮らしていた約150万人のモンゴル人のうち、2万7900人が殺害され、過酷な拷問の末に障害を負った人は12万人に達しました。5万人から10万人のモンゴル人が虐殺されたという説もあります。

母国を中国に浸食された私だからわかること

もともとはモンゴル人が通う民族学校と、漢人の学校は別々でしたが、私が小学校3年生だった頃、一時統合されました。

生徒の7割から8割ほどが漢人で、モンゴル人は2~3割程度。遊ぶときは中国語だし、ケンカしても数で負けてしまう。本当に肩身が狭かった。

一度、漢人の生徒とケンカをした経験があります。そうしたらモンゴル人の校長先生に呼ばれて「漢族は文明人で、我々こそが野蛮人なんだ。彼らがいないと我々は文明的な生活を送れないんだ」とみんなの前で怒られました。文化大革命のさなかでしたから、校長先生もそう言うしかなかったのかもしれませんが、承服はできませんでした。

だって、文化大革命の下方政策で南モンゴルにやってきた漢人移民たちは、子どもだった私の目にも貧しく、不衛生に映っていましたから。どうしても我々モンゴル人を文明化させてくれる人たちには思えなかった。

――中国に向ける楊先生の厳しい眼差しの背景にはそうした実体験をともなうリアリティがあったのですね。

草原が、中国に浸食されていくさまを実際に見ていますからね。