日本人はずっと中国を“誤読”してきた

――日本人は中国理解をずっと誤ってきたと先生はたびたび指摘しています。

日本には中国の歴史や文化に詳しい人が本当にたくさんいます。

中学や高校では中国の歴史や地理、漢文を学びますし、書店には中国関連の書籍が並んでいます。『論語』『大学』『中庸』『易経』『書経』『詩経』『史記』『春秋』……。昔から日本人は、漢籍をたくさん読んで、中国の歴史や文化から多くのことを学んできたことに間違いはありません。

言い方を変えれば、日本人は、漢籍や漢文を通して、中国を理解しようとしてきました。けれど、誤読――つまり読み間違いをしてきた。

それが、等身大の中国、もっと言えば、中国の本質を見極める妨げとなっています。南モンゴル(中国は内モンゴル自治区と呼称)出身の私から見て、日本人の中国史観、中国文化論は、中国人から見たそれとは完全に異なります。

――どういうことでしょう。

端的に言えば、漢籍に記録されたのは、中国社会の現実ではなく、理想です。日本人は、理想を現実として読んできました。

昔から日本人は、孔子の言葉を現実として受け止めています。しかし、実際の孔子は出自不明で、魯の国から追放された人物。当時の階級社会の中でたいへんな苦労をしたからこそ、理想の国家、正しい国家のありようを弟子たちに説いたのです。彼が遺したのは現実ではなく、あくまで理想論なのです。

長崎県長崎市にある孔子廟
長崎県長崎市にある孔子廟(写真=Kzhr/CC-BY-SA-2.5/Wikimedia Commons

司馬遼太郎も見誤った

こうしたバイアスにより、いまも日本人は、中国の真の姿を捉え切れていないと感じるのです。

古い話ですが、私の恩師である社会人類学者の松原正毅先生(国立民族学博物館名誉教授)からこんな話を聞いた経験があります。

1960年代、まだ学生だった松原先生たちは、冷房もない暑い京都大学の教室で半袖のシャツ姿でゼミを受けていました。そんな松原先生たちに、東洋史学者の桑原隲蔵教授はこう言ったそうです。

「あなたたちに比べて、中国人は立派だよ。礼儀を守るから、どんなに暑くても服を脱がないんだ」

松原先生たちは、襟を正して、中国人のようになりたいと感じたと言います。

――松原先生と親交のあった司馬遼太郎さんはペンネームを『史記』の著者である司馬遷から取っています。それだけ中国びいきだったんですね。

そうです。司馬遼太郎氏と松原先生たちは1978年に中国に旅行にいっています。当時は、中国が改革開放路線に舵を切り、共産主義経済から資本主義経済に移行していた真っただ中です。

講談社『週刊現代』10月1日号(1964)より司馬遼太郎
講談社『週刊現代』10月1日号(1964)より司馬遼太郎(写真=PD-Japan-organization/Wikimedia Commons

そうした社会変化のなかで、無節操に金儲けに走る中国人の姿を目の当たりにした司馬遼太郎氏は、「自分の考えていた中国ではない」と松原先生たちに嘆いたそうです。

それも漢籍で知った中国に対する憧れが生んだ誤解です。一方で、中国で生まれ育った私にとっては、司馬遼太郎氏が語る「自分の考えていた中国ではない」中国こそが、本来の姿だと感じます。日本人は中国のありのままの姿をしっかりと見るべきです。