豊かに、自由に使われていた時代

さて、この当時、手帳はどのように使われていたのでしょうか。応募論文においては、次のような用途が見られたといいます(49-50p)。人生計画、夢の記録、現在の重大関心事項、テレビや新聞等の情報メモ、試験の時間割、車のナンバー、写真のシャッタースピード、今年の目標、天候、金銭の出納、買い物や約束等のメモ、考えるための材料、業務日記、仕事やプライベートでの行動予定、怒り、悩み、反省、訪問先の地図、流行歌、方言の意味、映画の上映館と上映時間、列車や飛行機の時刻、俳句、会社の営業方針、パチンコ店のよく入る機械のナンバー、上役の悪口、等々。

これは一部抜粋に過ぎませんが、実にさまざまに用いられていることが分かります。このようにさまざまに手帳を活用する当時の人々の手帳についての考え、思いも同書には収録されているのですが、私はこれが非常に面白いと思っているので、いくつか紹介したいと思います(以下、引用文における漢数字は英数字に変換しています。以降も同様)。

「古い手帳をひらくと、ふと旅に出るような気がする。『自分』をさがしにゆく旅である。手帳の中の風景は『日記』のように言いわけをしない。あるがままに見られるのを待っている。そんな時、ふだんは私の主人のような手帳も、黙っておとなしく見られてくれている」(36p、21歳学生による)

「仲よくしている女友達はいたが、なぜかそのときは話すことができなかった。昼休みに手帳を拡げたわたしは、そのときの悲しかった気持ちを、書きなぐったことがある。書きながら、涙がポタポタ手帳の上におちて、それがシミになってひろがっていくのをみていると、不思議と悲しみがうすらいで、洗われたようなさっぱりとした気持ちになっていく。そして文章とも詩ともつかないその文面のはじめに、大きく『ひとり』とテーマを書きおわると、あんなに悲しかった気持ちがうそのように晴れて、もとの元気のいい自分になっていったことをいまでも憶えているのである。そんなことがあってから手帳は、わたしの心でもあるようになった」(37p、公務員・年齢不詳による)

「(1)思考の基礎(自分の時代) 年頭にあたり、自分で時代をつくり上げることを考える。今年は自分自身、このようなテーマを持ち続けよう、というような思考の基準を、まず手帳の表紙の見返しに太字のマジックで書き入れる。たとえば、1977年は『忍の時代』と名づけ、78年は『創造の時代』、そして79年の今年は『挑戦の時代』と記録をした。(中略)私の場合は、その年に応じて思考の基準を決めており、手帳を手にするたびに、いやおうなしに目につき、自分を律するための一つの方法としている」(51p、43歳会社員による)

最初のものは過去の自分と向き合うために、次は現在の自分自身と向き合うために、最後は将来に向けて自分を律するために、とこのようにまとめてしまうと何か味気なくなってしまうほどに、市井の人々のうちに非常に豊かな手帳への思いが育まれていたことが同書からは伺えます。

同書では、手帳の使い方も扱われているのですが、それは主に「能率手帳」の構造にしたがって、スケジュール欄やメモ欄の使い方を説くもので、特段目を引くものではありません。同書で何より面白いのは、今述べたような市井の人々の豊かな手帳観です。後の「手帳術」をみた上で私はこの原稿を書いているわけですが、後の「手帳術」のアイデアはあらかた、この時期に市井の人々がすでに実践していたものでした。つまり今日の「手帳術」は、その唱導者たちの独創によるのではなく、こうした市井の人々が行ってきた手帳の使い方のある部分がピックアップし、体系立てられたところに生まれているというのが私の考えです。

さて、次からいよいよ「手帳術」の系譜を追っていくことにしましょう。以下ではハウ・トゥそのものを追いかけるというよりは(それを逐一拾っていくと膨大になってしまうということもあります)、「手帳術」によって何が可能となるのかということについての系譜を追いかけていきたいと思います。

また、「手帳術」という言葉をタイトル・サブタイルに冠する書籍を今回の素材としますが、「手帳活用術」「手帳HACKS」といった、別の言葉が使われた手帳関連書籍も、多くはありませんが存在することをあらかじめ述べておきたいと思います。また、「ノート術」や「メモ術」など、書くことに関する書籍も、「手帳術」の動向と関連すると考えられるのですが、そこまで組み入れるとあまりに煩雑になってしまうので、今回は「手帳術」関連書籍に特化して系譜を追っていくこととします。