「手帳術」の登場
先に述べたように、1991年に「手帳術」という言葉を冠した書籍が初めて登場します。マーケッター/プランナーの福島哲司さんによる『究極の手帳術』がそれです。同書の冒頭では「情報化社会」、特に情報が「巨大なる怪物のようにふくれあがってきた」時代において、「情報とうまくやっていく」ことを通して時代を生き抜いていこうという問題意識が掲げられています(3p)。具体的には「車内広告を見てアイデアを見つけメモをし、そのアイデアを昼食時間中に発展させ、そして、急ぎクライアントに電話をする」(4p)というような仕事の流れを「情報処理システム」と捉え、その処理の根本的な考え方を「情報生理学」として示すことが同書の内容だと述べられています(4-5p)。こうした情報処理にとっての重要ツールが、情報を書き留め、整理することに優れた手帳だというわけです。
福島さんの「情報生理学」にとって最も重要な要素は柔軟性と創造性です。柔軟に情報を着脱できる手帳といえばシステム手帳かと思いきや、福島さんはシステム手帳はいつでもどこでも携帯できないこと(満員電車、トイレの中、ゴルフコースを回っているとき、寝室などが事例としてあげられています)、リフィルが原理的には無限に増やせるために情報の取捨選択がおろそかになるという点でシステム手帳を退けます。
福島さんが推奨するのは、「能率手帳」とポストイットの活用です。「能率手帳」は小型サイズで常時携帯(メモ)可能ですが、ページ数に限りがあります。そこで、まずポストイットに情報を書き込み、次に絞り込まれた情報(ポストイットを並べて、アイデアを発展させる場合もある)を手帳本体に書き込んで不必要になったポストイットは捨てるという二段構えの方法がとられます。これによって、入ってくる情報の柔軟な処理、自分自身から生まれてくる創造的なアイデアの管理をともに可能にする「情報処理システム」としての手帳が完成するというのです。ポストイットの活用は今日の「手帳術」でもしばしば言及される技法です。
創造的な発想を支えるために手帳を使うという考え方は、福島さんのオリジナルではありません。管見の限りでは、生態学者・民族学者の梅棹忠夫さんが1969年に著した『知的生産の技術』で示した、手帳を自分の着想を記録するために用いるという「発見の手帳」の項に遡ることができます。「ちいさな発見、かすかなひらめきをも、にがさないで、きちんと文字にしてしまおうというやり方」(26p)をいつでもどこでも行えるツールとして手帳を活用するという考え方。これが福島さんの「手帳術」のルーツのひとつになっていると考えられます。
福島さんの著作には、「大切なのは、自分が人生でどう生きるか、本来へのヴィジョンや生きがい、自分の生き方への気づきである」(24p)、「夢を広げていくと、今日やることが気が乗らなくても、何だかやる気が出てきて、やれてしまう」(66p)といった、人生や夢に関する言及が時折登場します。
しかしながら、それが「手帳術」と連動して記載されることはありません。それらは手帳に書き込まれる内容の一つではありますが、どのように人生や夢に向き合うことができるのか、そのための直接的な「手帳術」が示されることはないのです。